葬式で見た「職業人としての父」

【上野】あとになってから親のことがわかる、ということもあります。私の父は金沢の町医者で2001年に86歳で亡くなりました。生きているときはとんでもないワンマンで典型的な日本の亭主関白。暴君で癇癪持ちで社会性がない人間だと思っていましたが、葬式に来てくれた父の患者さんたちは知的で聡明そうめいな人ばかり。お父さん、あなたはこういう人たちに選ばれていたのね、って初めて職業人としての彼を見直しました。

聴診器
写真=iStock.com/ChristianChan
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【樋口】上野さんの父上が、へんてこりんな男であるはずはないけれど。

【上野】職業人としては立派でも、家庭人としては最低でした。そんなものでしょう? だから、はた迷惑だったんです。

【樋口】やっぱり、はた迷惑が親の特権ね。

親への愛情と子供への愛情は違う

【上野】ちなみに、愛情って夫に対するものと子どもに対するもので全然違いますけど、親への愛情と子どもへの愛情も違うもののようですね。

【樋口】まるっきり違う!

【上野】わたしは、ご存じのようにおひとりさまで、ずっと子どもサイドにいた人間なので、親がわが子を思う気持ちというものを経験していないんですけど。親業、とりわけ母親業って、いつ卒業するものなんですか?

【樋口】わが家などは、私と娘とで盛大な喧嘩をしょっちゅうしますから、仲の悪い親子のサンプルみたいなものですけれど、やっぱり子どもって特別なものですからね。幼いときはもちろんですが、今でも娘に何かあれば、身を挺してかばいますよ。

【上野】ということは、母親業に卒業なんてないと?

【樋口】ないですね。死ぬまでない。ほら、豊臣秀吉は晩年、年老いてからできた秀頼可愛さに、甥の秀次とその一族を殺戮して醜態をさらしたでしょう? 自分の死を悟ったときも、五大老・五奉行に「秀頼を頼み参らせ候」と伝えたりして。私も、死の間際に何を言ってもよかったら、枕元にいる人に「くれぐれも娘をよろしくお願いいたします」と言って死ぬと思う。