文章の構成が正しくても無難な書き出しだと台無し

たとえば、次の「つかみ」をご覧ください。

先週の日曜日、早朝から小学6年生の娘と鎌倉に出かけた。ハイキングをするためだ。娘とハイキングをするのは、じつに2年半ぶりのことである。

もう1つ、別の「つかみ」もあげてみます。

先月からバレエ教室に通いはじめた。最寄り駅から2駅先にある、駅から徒歩5分ほどの位置にあるバレエスタジオだ。生徒数は23人と教室としてはかなり小規模である。講師は、子どもの頃から20年にわたってバレエをしている25歳の方で、恩師のもとで子どもたち向けにレッスンをしていたが、昨年独立したという。

どちらも文章の構成の基本である「5W1H」(5W1Hは文章を構成する基本的な要素。「いつ(when)」「どこで(where)」「誰が(who)」「何を(what)」「なぜ(why)」「どのように(How)」のことを指します)を意識し、話の前提をきちんと説明しようとしている、わかりやすい「つかみ」だと思います。

ただ、わかりやすいものの、無難すぎて、読み手を惹きつけるインパクトはありません。これだと、なかなか「先を読みたい!」とはなりにくいでしょう。

こうした「つかみ」を書いている人のなかには、「これではインパクトがないなあ……」と自覚している人もいるかもしれません。

しかし、いろいろ手を加えてもしっくりせず、結局、「わかりやすいほうがいい」と無難な「つかみ」になってしまう。じつは私自身、ライターとしてデビューしてから数年間はこの症候群にかかっていて、そんな堂々めぐりをしていました。

休日に自宅で働くアジアの成人男性、ホームオフィス:ハッピーヤングアジアのフリーランスのクリエイティブマン彼の家の快適さで働く、社会的距離の概念
写真=iStock.com/travelism
※写真はイメージです

どこかで読んだような紋切り型フレーズではインパクトなし

②手あかのついた『つかみ』に頼っている」症候群

無難すぎる「つかみ」から抜け出そうとしたときにかかりがちなのが、「手あかのついた『つかみ』に頼っている」症候群です。

手あかのついた「つかみ」とは、いろいろなところで使われすぎていて、もはやインパクトがない「つかみ」のことです。

たとえば、次の文章をご覧ください。

少子高齢化の進展に伴い、総人口、労働力人口が減少する中、日本社会の持続的発展のためには、女性の活躍は極めて重要な政策課題である。

内閣府男女共同参画局『男女共同参画白書平成28年版』の文章です。これは白書なのでしかたがありませんが、冒頭の「少子高齢化の進展がうんぬん」という文章はあちこちでよく見かける文章であり、驚きがありません。