「孫がかわいそう」と言われた日々

一方、自分の両親との関係性についても、ある意味役割の1つと言えるでしょう。個人的な話で恐縮ですが、2022年時点で父は91歳、母は90歳、ありがたいことに健在。今でこそ長生きして人生を十二分に楽しんでいる両親に深い尊敬の念を抱いていますが、何しろ「昭和1桁生まれ」女性が子育てしながら働くなぞ、もってのほかだという考え方の世代。私が息子を出産した後にも仕事を続けようとしている時に「何のために働くのだ?」「孫がかわいそう」とさんざんお小言を聞かされてなかなかに苦手な存在でした。両親が娘の私に対して望む姿はおそらく「家庭をしっかり守って夫や子供を支える役割」だったと想像しますが、両親には申し訳ないのだけれど、親の望むとおりに生きるかどうかは自分が決めること。私はそうでない生き方を選びました。両親にしてみれば、私自身というよりも孫のことが心配でいても立ってもいられない……そんな日々だったのかもしれません。

女の赤ちゃんの手を握る老婆の手が接写
写真=iStock.com/Thai Liang Lim
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自分が「これよ!」と思える生き方をすればいい

妻や母としてイケてない私ですが、きっと娘としても相当イケてない存在、イケてない尽くしです(笑)。でもね。人生1度きりですから、自分が好きなようにやっていくこと。周囲から「どうよ?」と思われることを気にするのではなく、自分自身で「これよ!」と思える生き方をすることでよいのではないでしょうか。私がそう思っているということは、息子も同じように思っているだろうから。自分が親の立場になった時には、「こうすべき」ということを極力息子には言わずに「元気でやっているなら、よし!」と見守りに徹することを心がけるようにしました。ただ、親の介護が必要な状況になっていたら、こんなふうに自分の主張ばかり通すことも叶わなかったかもしれず、改めて両親に感謝の思いです。夫の両親は我が父母より1回り近く年下ではありますが、やはり2人とも健在。長く商家を切り盛りしていたので義父母とも毎日忙しく働いていて、嫁の私が働いていようが、たまにしか帰省できずにいようがお構いなしの大らかさで接してくれたことも、ありがたいことこの上ありません。親の期待がどうであれ、子供は元気で楽しくやっていればOK。もちろん、子供の親に対する期待もしかり。自分が子供の立場であっても親の立場であっても、役割ってそこを軸にすればよくて、大切なのはたとえ親子間であったとしても、相手をリスペクトする心根です。