水を戻したところで下流域の水量には影響はない

筆者はそもそもJR東海が大井川に水を戻す必要があるのか懐疑的だ。というのも、後述するが、現在でも毎秒4.99トンの湧水が大井川上流部の田代ダムから山梨県へ流れている。

さらにJR東海が水を戻そうとしている場所は大井川の上流部であり、川勝知事が「62万人」と主張している下流域までは100キロ以上もある。毎秒最大2トン程度の水を戻したところで、大井川には32カ所ものダムが点在し、下流域の水量に影響を与えるはずもないのだ。

静岡県大井川広域水道企業団の貯水プール。現在、62万人ではなく、約26万人に水道水を供給する(島田市、筆者撮影)
筆者撮影
静岡県大井川広域水道企業団の貯水プール。現在、62万人ではなく、約26万人に水道水を供給する(島田市)

大井川下流域は豊富な地下水源に恵まれ、大井川広域水道を主に利用するのはたった26万人に過ぎず、その26万人も水不足に悩まされたことはなかったことを筆者は明らかにした。前述した7市に水道用水を供給する大井川広域水道企業団は毎秒2トンの水利権を有しているが、流域住民はその半分さえ使う必要もなかったのだ。

またJR東海が準備書で示した「毎秒2トンの減少」という数字も、あくまで何も対策をしない場合の数値である。当然、減少分を抑える対策だけでなく、導水路トンネルやポンプアップによって、必要ならば毎秒2トン分を大井川に戻すと説明していた。

川勝知事が「毎秒2トンの全量を戻せ」と厳しい要求を続けたことを受けて、JR東海は2018年10月、「原則として湧水全量を戻す」と表明した。毎秒2トンどころか、トンネル内で発生する毎秒2.67トンの湧水全量を戻す方策を明らかにした。これでは下流域の水減少問題は起きるはずもなく、「全量戻し」に象徴されるリニア問題は解決したと思われた。

川勝知事は全量戻しの「ゴール」を移動させた

ところが、川勝知事は「全量戻し」のゴールを新たにつくり変えてしまう。

川勝知事は、JR東海の『原則として湧水全量を戻す』という表明を逆手に取り、大井川水系の毎秒2トンの水減少だけでなく、「静岡、山梨県境付近のトンネル工事で県外に流出する地下水の全量も含まれる」という非常に困難な「全量戻し」にスタンスを変えたのだ。

山岳地帯のトンネル工事は、大量の湧水が出水する危険に見舞われるため、水抜きを最優先にさまざまな対策を立てる。特に南アルプス断層帯が続く山梨県境付近の工事は非常に困難な状況下にある。

県境付近の工事では、静岡県側から下り勾配で掘削すると、突発湧水が起きた場合、水没の可能性が高く、作業員の命が危機に見舞われる。このため、JR東海は県リニア専門部会で山梨県側から上り勾配で掘削すると説明し、約10カ月間の工事中に、最大500万トンの湧水が静岡県側から山梨県側へ流出すると推計していた。

川勝知事は「県境付近の工事中であっても、トンネル湧水の全量戻しがJR東海との約束だ。静岡県の水は一滴も県外に流出させない」「湧水全量戻しができなければ、工事中止が約束だ」などとJR東海を脅した。

川勝知事は「62万人の命の水を守る」大井川の水の全量戻しから、「県境付近の工事中の全量戻し」にゴールを変えたのである。

この「全量戻し」は静岡県の水環境を守ることとは全く違う、単なる川勝知事の言い掛かりに過ぎない。たちが悪いのは、この500万トンの流出でも大井川流域の湧水に大きな影響を与えると主張したことだ。