個性を実感しにくい社会を背景に生まれた

キラキラネームは、背景にある社会をぬきには語れない。

戦争のあった時代は、多くの若者が人生なかばで亡くなっただけでなく、生き残った人たちも、一人ひとりにみな違う苦難のドラマがあり、将来のことをあれこれ案じながら必死に生きる道を模索した。そんな時代は、人によって生き方が違うのはあたりまえだった。

しかし戦後、経済成長が続く時代になると、日本中に仕事人間、会社人間があふれ、地位や高収入を得るための競争の時代になった。競争社会ではみなが同じ目標に向かって同じ努力をする。会社は何をやっても順調にいき、社員の実力の違いはわかりにくくなり、人はペーパーテストや学歴で分類され、受験競争が激化する。

そして多くの家庭では、「勉強して有名校へ行け。エリートの道を進め」と子供を受験勉強に駆り立てることが子供の教育だということになった。

みなが小学校から大学まで通ったあとサラリーマンになる、という似た生き方になり、それが安定した模範的な生き方だとされた。こうして競争ばかりさせられた人たちは、「自分なりに努力した。成果はあった」とは思えても、自分自身で人生を作ったという実感はなかった。

1990年代から増えた、キラキラネームとよばれた奇抜な名前は、こうした社会を背景に生まれたのである。

通勤する人々
写真=iStock.com/urbancow
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つける親たちに共通していたのは過剰適応

そうした名前をつける親たちは、「個性」「自由」をさかんに口にし、人に読めない、男女不明の名前を好んだが、それでいて「本や雑誌に出ている」「TVでとりあげられた」「みんながやっている」「平凡な名前だと思われたくない」「人のつけない名前を」などと、他人にばかり目を向けていた。

これに対して批判的な人たちもいた。何てアホな親だ、と思う人も多かった。

どちらも誤解である。

キラキラネームは個性とも、知能とも関係はないのである。つける親たちに共通していたのは過剰適応である。人に逆らって自分で道を切り開いたような体験は無く、仲間はずれになること、取り残されることを恐れ、器用に流れに乗ってきた。

そうした人たちの心の奥には、「もう指示されるのはたくさんだ」という叫びがある。そしてわが子の名づけが「人との違い」を示せる場になってしまっていた。そう見ればかわいそうなことなのである。

名づけは社会の鏡である。名づけの傾向から、どういう社会なのかが見えてくるのである。