やりたくない仕事を前に「やる気」を出すには、どうすればいいのか。阪神タイガースなどで活躍した元プロ野球選手の鳥谷敬さんは「現役時代には、毎朝『球場に行きたくないな』と思っていた。だから他人からの視線や期待を利用した」という――。(第2回)

※本稿は、鳥谷敬『他人の期待には応えなくていい』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

鳥谷敬
撮影=平野司
2021年に現役を引退し、現在は野球解説者となった鳥谷敬さん。

「野球が大好きだったのではない」私がプロになったワケ

野球をしていた頃、毎朝「球場に行きたくないな」と思っていた。はっきりいえば、「面倒くさいな」といつも感じていた。

わたし自身、多くのプロ野球選手のように、「子どもの頃から野球が大好きだった」というタイプではなく、たまたま人よりも野球が上手だったから、小学生の頃からずっと続けていただけだった。

父親はサッカー経験者だったので、わたしもサッカーが大好きだった。

小学1年生のときに柔道を始めた。野球を始めたのは小学2年生の頃のことだ。小学生時代は月・水・金曜日は柔道、週末は野球という二足のわらじを履いた。

個人競技である柔道と団体競技である野球と、それぞれの魅力があったけれど、中学生になるときに野球に専念することを決めた。シニアリーグに入ると同時に、右打ちから左打ちに変えることにした。本腰を入れて、野球に取り組むためだった。

しかし、中学時代は一気に身長が伸びたことで成長痛になり、ひざを故障してしまって満足に走ることができなくなった。ようやくレギュラーの座をつかんだものの、今度は背中の肉離れに悩まされて、満足なプレーができなくなった。

それでも野球を続けていたのだが、高校進学時には真剣に「これで野球をやめよう」と決意した。「高校では大好きなサッカーをやってみようか」、そんなことを考えたこともある。しかし、「強制はしないけれど、できれば野球を続けてほしい」という父のひと言をきっかけとして、高校でも野球を続けることを決めたのだった。

以降、早稲田大学でも野球部に入り、タイガース、ロッテマリーンズと野球ひと筋の生活を送ることになった。