野党から与党に転じる政治家自体は珍しくはない

「野党から与党に転じる政治家」はこれまで何人も見てきた。例えば2015年に旧民主党を離党し、17年に自民党に入党した松本剛明総務相は、民主党の菅直人政権で外相を務めた経験の持ち主だ。今さら驚くには値しない。

ただ、松本氏をはじめ、現在自民党に所属している旧民主党系の政治家は、おおむね2000年代初頭の初当選組だ。この当時、民主党はそれまで野党第1党だった新進党の突然の解党と、同党所属議員の入党などによって党の保守化が進みつつあった。また、政権交代への期待感も、現在の状況に比べればかなり高かった。そんな中で、選挙区事情などで自民党からの出馬がかなわなかった保守系の人材が、民主党から出馬するケースは珍しくなかった。

もちろん、だからといって安易な政党の鞍替えを容認するものではない。ただ、当時の「自民vs民主」の二大政党は、結果として「目指すべき社会像」の対立軸が明確でなかったがゆえに、こういう議員を生んだと言えなくもない。

現在の政局は与野党の対立軸が明確になっている

ただ、現在は当時とは状況が違う。

民主党が2012年に政権の座を降りた後、17年の「希望の党騒動」によって、野党第1党の「目指すべき社会像」の整理はかなり進んだ。寄り合い所帯で党内対立が絶えなかった民主党(この時点では民進党に改称)が、改革保守系(希望の党)とリベラル系(立憲民主党)の2党にざっくりと分かれ、最終的に現在、立憲が第1党として野党の中核を担っている。後の野党再編で、結果として現在の立憲が「民主系の再結集」に見えるかもしれないが、希望の党騒動の前と後とでは、意味合いが決定的に違うのだ。

20年前の「自民vs民主」時代に比べれば「自己責任の社会vs支え合いの社会」という「目指すべき社会像」の対立軸は明確になりつつあったし、少なくとも立憲はそれを強く打ち出していた。だがそれは「政党の扉を叩く候補者の側には、全く伝わっていなかった」ということなのか。筆者も徒労感を覚えるし、書き手としての責任も感じる。