「カスハラ」にも同じ欲望が潜んでいる

「誰でもいいから叩きたい」という欲望を抱くのは、日頃から鬱憤がたまっていて、そのはけ口を探さずにはいられないからだろう。つまり、怒りたくても怒れず、欲求不満にさいなまれている。だから、誰でもいいから怒りをぶつけて、スカッとしたい。

片田珠美『自己正当化という病』(祥伝社新書)
片田珠美『自己正当化という病』(祥伝社新書)

こうした欲望が端的に表れたのが、先ほど取り上げたネット上の炎上、そしてそれに便乗する“便乗怒り”だが、最近問題になっている「カスタマーハラスメント」、いわゆる「カスハラ」の根底にも同様の欲望が潜んでいるように見える。

「カスハラ」とは、客の理不尽な要求や悪質なクレームなどの迷惑行為であり、最近深刻化している。たとえば、店員に「お前は頭が悪い。だからこんな仕事しかできないんだ!」と暴言を吐いたり、態度が気に入らないという理由で土下座を要求したりする。あるいは、返金や賠償金を要求し、それが受け入れられないと、「ネットに実名入りで悪評を書く」「殺されたいのか」などと脅す。

こうした「カスハラ」が増えている背景には、デフレ経済が30年も続く状況で、顧客獲得のために“過剰”ともいえるサービスが当たり前になったことがあるように見える。また、SNSの普及によって誰でも悪評を容易に発信できるようになり、しかもそれがすぐに拡散することも大きいだろう。

彼らは実は無力感にさいなまれている

だが、問題の核心は、店員を怒鳴りつけたり脅したりすることによって日頃の鬱憤を晴らそうとする客が少なくないことだと私は思う。なかには、商品やサービス、果ては店員の態度のあら探しをして、いちゃもんをつける客もいると聞く。この手の客は、日頃怒りたくても怒れないので、怒りの「置き換え」によって、その矛先を言い返せない弱い立場の店員に向けると考えられる。

矛先を向けられた店員が客の要求を受け入れ、謝罪すれば、客としては優越感を味わえる。日頃鬱屈しており、無力感にさいなまれている人ほど、「カスハラ」によって得られた優越感を忘れられないのか、繰り返すように見受けられる。

その結果、警察沙汰になることもあるようだ。もっとも、それほどの大事<おおごと>になっても「カスハラ」の加害者が「悪かった」と心から反省するかといえば、はなはだ疑わしい。店側に落ち度があったから、それを自分は指摘し、正しただけと正当化する人が多い印象を受ける。

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