関東大震災のとき、総理大臣は交代中、内閣は不在だった!2011年3月11日、日本を襲った100年で3度目の大震災。先の震災に学ぶ東日本の復興復旧の術とは何か。
阪神大震災直後、村山富市総理(当時)の言動や行動に多くの批判が寄せられたが、震災発生から50日以内に、がれき処理や道路復興、仮設住宅建設の費用を盛り込んだ総額約1兆200億円の2次補正予算案を成立させている。(写真=PANA)
村山は数日前から足元の社会党の動きが気がかりだった。半年前の94年6月、第一党の自民党に担がれ、旧与党側の海部俊樹元首相を破って首相となったが、社会党では非自民路線の右派グループが分党の動きを示し、党内対立は一触即発の情勢である。前委員長の山花貞夫(元国務相)を中心とするグループが離党、新党結成に走り出す寸前であった。集団離党となっても、与党の過半数割れは起こらないが、政権維持が困難になる可能性があり、村山は気が気ではなかった。
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