5月26日(土) 新宿バルト9他 全国ロードショー

©2011「MY HOUSE」製作委員会

主人公の鈴本(いとうたかお)は、都会の公園で暮らす中年のホームレス。廃材とビニールシートでつくった「家」で、パートナーのスミ(石田えり)と暮らしている。磁石で拾い集めた釘、捨てられている家電製品、自動車用バッテリー……「街の幸」に目を止め、工夫を加え、鈴本はほぼ0円で生活している。 鈴本は、食料品やコインランドリーの代金に、街に捨てられたアルミ缶を拾い集めて換えたおカネを使う。アルミ缶集めが鈴本の仕事だ。ラブホテルの社長(板尾創路)と交渉し、ホテルから出る空き缶を手に入れる。ある家のゴミ捨て場に置かれる缶を回収し、代金がわりにゴミ捨て場を掃除する。その家の中では、潔癖症の主婦トモコ(木村多江)が毎日毎日掃除をしている。その街には、エリート進学塾に通う中学生ショータ(村田 勘)がいる。交わるはずのなかった彼らの暮らしが、ある事件をきっかけに交錯していく──。

「MY HOUSE」
原作=坂口恭平『TOKYO 0円ハウス 0円生活』(河出文庫)、『隅田川のエジソン』(幻冬舎文庫)
原案
堤 幸彦 脚本佃 典彦 監督堤 幸彦
©2011「MY HOUSE」製作委員会 配給:キングレコード/ティ・ジョイ

「MY HOUSE」オフィシャルサイト 
http://myhouse-movie.com/

 

もうひとつの「人妻とホームレス」の映画

三浦 ずっと家族というテーマを書き、ドラマも観てきた目から見ると、「MY HOUSE」をどうしても「岸辺のアルバム」や他の作品とも対比したくなる。実は、羽仁進さんが似たような映画を撮っているんですよ。

 おっ、そうなんですか。

三浦 「彼女と彼」という映画です。左幸子主演で、岡田英次が旦那さんで、百合ヶ丘団地に住んでいる。昔の団地は、もともと田んぼだった場所ですから、すぐ近くに今で言うホームレス、昔で言う「ゴミ屋さん」がいっぱい住んでいたんですね。団地ができていくと、鉄条網を張って、ここから入るなとホームレスを追い出す。ところがそのゴミ屋さんのひとりが、実は旦那さんの同級生だった。戦争で酷い目に遭って、社会復帰できずにゴミ屋をやっている。奥さんは旦那さんに不満があるわけではないという描き方なんです。ちょっと心の優しい奥さんで、前から住んでいた人を追い出していいのかしらみたいな気持ちで、ゴミ屋さんを自分の部屋に入れてあげて、水を飲ませたりして。

 それはドキドキしますね(笑)。

三浦 新しくできた夢の生活である団地は、異物であるゴミ屋さんを排除する。前からいたゴミ屋さんも、新しく現れた団地を異物だと思っている。お互い異物と思っているんです。ところが、今回堤監督が「MY HOUSE」で描いたお医者さんの家庭とホームレスの鈴本さんは、実は生態系を成している。これが50年前の団地映画と違う面白いところで。50年前の羽仁進は、団地の側が一方的にゴミ屋さんを排除しているという構図なのに対して、「MY HOUSE」は両方いないと成り立たないという関係が描かれている。これは、お医者さんと鈴本さんとどっちがいいとか、正しいとか、どっちのほうが人間らしいとか、そういう簡単な解釈を監督はされたくなかったということかなと。

 そうですね、色を付けなかったとか、音楽をなしにしたということもそういうことです。僕の予断が反映されるので、色や音楽はやめたかった。手本は森田芳光さんの「家族ゲーム」という一切音楽がない映画です。効果音だけで映画を撮るというのは、いつかどこかでやりたいと思っていました。都市は音であふれているので。公園の中にも、それこそ空き缶を潰すという音がある。今の映画館は音環境がひじょうにいいので、効果音だけでも臨場感を持って再現できると思ったんです。

 この映画にはいろいろな要素があります。鈴本さん周りの出来事は、坂口さんからアイデアをいただいて、完全コピーに近いかたちで再現しているライフスタイルの紹介です。一方で、無菌状態の主婦は、僕自身です。手を洗う石鹸が知らぬ間になぜ3つもあるのか。洗顔するのに、なぜこんなに多くの種類の石鹸が必要なのか。たかだか風呂のカビを取るために、なぜこれだけ努力をするのか。気がついたらそうなっていた僕自身です。

 僕は三重県の四日市市で生まれ、名古屋で育ったのですけれど、こんなことを昭和30年代、40年代はしていなかったよなあ、と。だいたい、リンスなんて使っていなかった。これは三浦さんのご専門でしょうけれど、進化していく資本主義の中で、個性がなくなっていく象徴がひとつ欲しかったので、あの潔癖症の主婦を置いたんです。

 もうひとつ、どの時代になっても人間のヒエラルキーというのは必ずあるわけでして。あることは良くない。しかしずっと、少子化になるほどさらに強力に再生産されていく。これはひじょうによろしくないと思っていまして、スーパーエリートの中学生も生態系の一環として置いてみたんです。

 あの中学生の話は、名古屋の人は観れば何のことだかすぐわかります。100分の数人かもしれませんけれど、今も確実にあります。なんとか町の何々くんではなくて、どこそこの中学に行っている人というイメージで人間を見るようなきらいが名古屋にはある。もちろんそれは全国どこにでもあるのかもしれないけれども、特に名古屋の場合は進学校が多いので、進学校の中でも「あそこの中学に行っているのだったら、もう東大間違いないわね」というランキングとヒエラルキーがいまだにありますね。

三浦 舞台は千種区ですか。

 私が育ったのもそうですし、映画を撮ったのもあの辺りが多いですね。

三浦 千種は郊外的なんですか。

 郊外ではないですね、市の東側の静かな住宅地。東京で言えば田園調布的な、あるいは成城的なブロックがある。でもそれは狭いエリアで、千種区の多くは、ひじょうに低い街並みがずっと連なっています。