国民が素直に悼むことのできる状況をつくるべきだった

【池上】いち早く国葬を決めたことで党内の結束を固めることはできました。国葬としたことで、安倍派を納得させることはできましたし、9月27日までは喪に服すわけですから、党内抗争はしばらくは止まるでしょう。

しかし、世論はそうはいきませんでした。アベノミクスや集団的自衛権行使の容認にしても、まだ歴史的評価が定まっているとは言い難い状況です。また、安倍さんにはまだ現在進行形の問題もあります。

2016年に学校法人「森友学園」に国有地が破格の安さで払い下げられたり、2017年には52年間もどこの大学も認められてこなかった獣医学部の新設を学校法人「加計学園」に認めたりと、当時首相だった安倍さんと関係の深い人に対して特別の便宜が図られたのではないかという疑惑は残ったままです。また、首相が主催する「桜を見る会」では招待者名簿が短期間で破棄されるなど今も真相は解明されていません。

本当に安倍さんのためを思うのなら、国民が素直に悼むことのできる状況をつくることも政府の仕事でしたが、拙速な国葬の決定によって、賛否が割れてしまった面もあります。

上皇陛下は自身の「国葬」を憂慮

【池上】葬儀費用の全額を国費つまり税金で賄う「国葬」ではなく、政府と自民党と国民有志が費用を分担する「国民葬」、あるいは1980年以降に主流となっている、内閣と自民党が費用を分担する「合同葬」という方法であれば、ここまで批判が高まることはなかったでしょう。

上皇さま。2016年1月27日、フィリピン・マラカニアン宮殿にて
上皇さま。2016年1月27日、フィリピン・マラカニアン宮殿にて(写真=Malacañang Photo Bureau/PD-PhilippinesGov/Wikimedia Commons

そもそも国葬とは、国家の儀式として、国費で行われる葬儀のことです。日本では明治以降、天皇や皇后、皇太子などのほか、「国家に大きな功労があった者」の国葬が行われるようになり、1926年には「国葬令」が制定。国葬が行われる日は学校や公的機関はお休みとなり、全国民が喪に服す必要がありました。

戦後は民主的な社会になったため、1947年にこの法律は失効しましたが、例外的に、「国民統合の象徴」であり、事実上の国家元首である天皇陛下に関しては「大喪の礼」が国事行為として行われることになっています。上皇陛下は、自分が天皇の立場で亡くなったら大層な「大喪の礼」を実施しなければならないことを憂慮され、簡素化を望む方針もあって生前退位を決断されたと見られています。