私たちはどうやら、「栄養、栄養と健康情報に煽られながら、余計なモノを食べ過ぎていたのではないか」「余計なモノを食べ過ぎることによってかえって体調を悪化させていたのではないか」と思い知らされた体験でした。

この「食事の節度」を守ることによって体調が良くなることについては、何も私に限って起きた特別な現象ではなく、再現性があります。現在私が住職を務める福厳寺では、修行僧の受け入れをしているのですが、入山から3カ月ぐらいかけて、修行僧たちの体の毒素が抜け、体が引き締まり、病気に罹りにくい体へと変化していきます。

朝起きて最初に持つ感情が、1日の質を決める

次に、「食べ過ぎないこと」とともに、私が健康のために重要だと考えているのは、「思考、感情」の習慣です。

僧侶たちの日常には、「朝課ちょうか」が組み込まれています。朝課とは、御本尊さまの前で行う「朝のお勤め」のことです。朝課は、お釈迦さまをはじめ、歴代の先輩僧たちへの「感謝」と、生きとし生けるものの幸福を願う「祈り」と、仏法を受け継ぎ広めていく覚悟「誓い」の3つの念を込めて行われます。

朝起きて最初に持つ感情が、その日1日の質を決めていくと言われています。

朝起きて最初に、身体を整え、衣服を整える。そして読経を通じて、呼吸が整えられ、心が整えられる。さらに朝課だけに留まらず、日中の法要や葬儀などを通じて、知らず知らずのうちに、思考や感情が整理されている。

つまり自己反省と感謝、祈りと誓願せいがんの繰り返しが、僧侶の日常なのです。

小さな心の汚れが悪しき生活習慣に育っていく

生きるとは、心に何かを思い(意)、思ったことを口に話し(口)、身体に行う(身)ことの連続です。

これら身口意で行う習慣を、ごうと呼びます。

日々繰り返される複雑な人間関係の中で、嫌な思いをする瞬間(小さく心が汚れる瞬間)が誰にでもあります。

嫌な思いをすればつい、その嫌な思いを払拭したくて、刺激や刺激物を求めたり、暴飲暴食をしたりしてしまいます。

ほんの小さな意(心の)の汚れが、口の汚れとなり、行為の汚れとなる。その繰り返しが、生活習慣となって後に、心身の健康に大きく影響してくるのです。

だからこそ、1日のうち何度か、わずか1分でもいいから、自己(意)を振り返り、心を整える時間や空間が持てるならば、それが健康長寿につながってゆくのです。

僧侶は、お寺で生活し、お寺で仕事をする性質上、「心を整える」時間と環境が備わった職業なのです。

では、僧侶でない人はどうしたらよいのか。