自民とも維新とも連携を深めることはあり得ない

ここで、前回の記事とは少し違う視点を提示してみたい。

国民民主党の中に「自民党と戦って政権を勝ち取り政策を実現する」ことを目指す前原氏に対し「自民党と協調してでも政策を実現する」ことを目指す玉木氏――という対立構造があることは、すでに指摘した。だが、対立軸はそれだけではない。もっと根本的な「目指すべき社会像」という問題がある。

玉木氏はなりふり構わず「自民党への接近」に突っ走り、一方の前原氏は「維新との連携」を模索しているわけだが、少なくとも夏の参院選で、この二つは両立しない。なぜなら現在の政界において、岸田政権と維新は「目指すべき社会像」が真逆であり、国民民主党がその双方と連携を深めれば、自らが股裂きに遭うからだ。

菅前政権の時は「目指すべき社会像」の対立軸の分断線が、与野党の間に明確に存在していた。菅氏や、その前任者でアベノミクスを推し進めた安倍晋三元首相が「自助」をうたい、新自由主義的な「自己責任社会」を目指したのに対し、立憲民主党の枝野幸男前代表は「お互いさまに支え合う社会」を掲げて野党をまとめて戦った。何かにつけ立憲といがみ合っている国民民主党も、政策の立ち位置は後者に近い(もともと同じ民主・民進党に所属していたのだから、当然と言えば当然である)。

一方、「身を切る改革」という新自由主義的路線を掲げてきた日本維新の会は、一応野党でありながら、むしろ安倍・菅両政権と極めて親和性が高かった。

自民党内にも生まれた「自己責任社会」か「支え合いの社会」かの対立

岸田政権の誕生で、この構図は複雑に変化している。

相変わらず何をしたいのかが見えない岸田文雄首相の「新しい資本主義」だが、少なくともコンセプトだけは、昨秋の衆院選を戦った野党共闘勢力に近いように見える。後景に退いた安倍氏らと路線を異にしているのは確かだろう(だからネット上などでは、安倍氏のシンパとみられる人々が、積極的に岸田首相を攻撃している)。

岸田首相が、何かにつけ政権への「介入」を図る安倍氏らの影響力を排除できるのか、安倍氏の傀儡で終わってしまうのかはまだ見通せないが、かつて与野党の間にあった「目指す社会像」の対立軸が、自民党内にも生まれたのは確かなようだ。