人間関係の悩みにはどう向き合えばいいのか。脳科学者の茂木健一郎さんは「『わかり合える』という思い込みを止めることだ。相手の感情を汲み取るには、脳に備わっている相手に共感しようとする機能を高めることが大切だ」という――。

※本稿は、茂木健一郎『意思決定が9割よくなる 無意識の鍛え方』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

はてなマークが書かれた紙を持って立っている男女
写真=iStock.com/Zinkevych
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「他人とわかり合える」という思い込みは止めたほうがいい

いつの時代も、人間関係は生きていく上で最重要テーマの一つである。仮にあなたが「私は私、他人は他人」と思っていても、他者は必ずどこかで介入し、本人が望まずとも、その人の思考や人生に何かしらの影響を及ぼすものだ。

心理学者のアルフレッド・アドラーが「すべての悩みは対人関係に集約される」と言い切ったように、他者が存在しないことには、自己認知が成立しない。悩みに限らず、僕たちの無意識や、それに伴う言動の傾向において、その多くは他者の存在を抜きにして考察することはできない。

人間関係について考えたときにまず理解しておきたいのが、他者とは決してわかり合えないという事実である。

考えてみれば、これは至極当然のことだ。男が女のことを完全に理解するのは不可能だし(逆もしかり)、生涯健康な人は先天的に持病を持つ人の気持ちを厳密にはわからない。ラノベしか読んだことがない人は、純文学の魅力を理解し難いだろう。内部モデルがないまま情緒的に共感することは、本質的には何も理解していないのと同じことなのだ。

しかしながら、「わかり合う」ことができる前提で物事が進められる風潮は、多様な価値観が当たり前となった現代においても、さまざまなシチュエーションで存在している。

「なんであの人は私の気持ちを理解してくれないんだろう」「もっとお互いの立場を汲み取ってほしい」……そんな、「話せばわかる」という無意識の認識は、ある意味では危険を伴うものですらある。

「わかり合えない」ことが分かれば人間関係はラクになる

以前、小説家の山崎ナオコーラさんと対談させていただいたとき、興味深いお話を聞いた。彼女は過去に流産した経験があるのだが、そのことを、流産の経験がない人には「話しちゃいけない空気」のようなものを感じていたそうだ。

流産の経験がない人がその話を聞いたとき、「相手の気持ちを理解して、傷つけないようにがんばらないといけない、とプレッシャーを感じるのではないか」と思っていたという。「わかり合う」ことへの執着が、逆に関係性をギクシャクさせてしまっていたのだ。

その上で山崎さんは、「理解し合わなくても、会話をしていい。そういう前提があれば、もっとお互いを受け入れやすくなるんじゃないか」とおっしゃっていた。彼女のそんなスタンスは、「価値判断をしない」というマインドフルネスの神髄に近い気がして、なんだか感心してしまったのを覚えている。

「わかり合えない」ことをわかっている。これだけで、人間関係は随分とラクになるような気がする。