選挙の投票に行っても「政治に参加した」という実感を得づらいのはなぜなのか。政治学者の藤井達夫さんは「現代の選挙制度はエリートによって支配されている。代表制民主主義は改革が必要だ」という――。

※本稿は、藤井達夫『代表制民主主義はなぜ失敗したのか』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

投票している時の手
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代表制度は政治権力の私物化への対抗手段

現代の民主主義諸国では、代表制度が正常に機能していない。正常にというのは、代表制度が民主主義の制度として求められる機能を果たすことができていないということだ。そればかりか、今後もそれは正常には機能しえない。もちろん、日本も例外ではない。

現代の代表制度が機能不全に陥っていることを赤裸々に物語っているのが、代表者の中でも、政府を構成する政治家──大統領もしくは首相に当たる──による政治権力の《私物化》である。

そもそも近代に復活した民主主義では、政治権力の私物化を禁じ、自由を蹂躙する専制に対抗する手段として代表制度が導入された。もちろん、それ以外にも法の支配や三権分立などが存在してきた。しかし、代表制度こそ、民主主義の理念を実現する上での基幹となる制度であったことは間違いない。国民によって直接選挙で選ばれた代表者からなる立法府、すなわち議会が法律や憲法を制定し、それによって、執行権力の担い手である行政府をコントロールする。これが、その制度の核心となる構想だ。

この構想を「立法権の優越と執行権の権利否定」と説明する人もいれば、端的に「議会主義」と呼ぶ人もいるだろう。しかし、いずれにせよ、この核心的な構想によれば、代表制度が民主主義の制度として機能するには、社会にしっかりと根を張った大衆政党と定期的に行われる民主的な選挙が不可欠となる。

これに対して本書では以下の二つの事態を繰り返し指摘してきた。一つは、現代の多くの民主主義国において、政党が多くの有権者との結びつきを失い、社会の諸集団を代表する機能を喪失したこと。もう一つは、定期的に実施されてはいるものの、選挙は社会の多数派に共有された意思を表明したり、時の政権の業績を評価したりする機会ではなくなったことだ。

これら二つの事態が進む一方で、現代の政党は、強大な権力を有する一部の利益団体や富裕層との結びつきを強めつつ、執行権力を行使する政府に従属するようになっている。また、現代の選挙は、セルフ・ブランディングが巧みな政治家の人気投票か、あるいは有権者が自身のアイデンティティを追認する行為になっている。この結果、代表制度は、民主主義の制度として要請される機能を果たすことができなくなってしまった。