幸福度の鍵を握るのは宗教ではなく精神性

【佐々木】fight-or-flight、日本語では「闘争」と「逃走」と同じ発音なので面白いです。たしかに日本でもSNSなどを見ると、闘争ばかりしている人や、逃走しまくっている人が目立ち、理性的に考えて行動する人が少ないように感じます。

ジャーナリストの佐々木俊尚氏
ジャーナリストの佐々木俊尚氏(写真=佐々木氏提供)

しかしそういう理性的な人の数は実はたくさんいて、ただ目立たないだけなのではないかとも私は捉えています。そういう理性的な人たちが中心になって議論できるような場所を作ることができれば、よりよい社会へのスタート地点になり得るのではないかとも思いますが、どうでしょうか。

【シュミル】アメリカでは、そうした物言わぬ多数派を「サイレント・マジョリティー」と呼んでいますが、デジタルメディアに煽られて世論の分極化が進み、いま、サイレント・マジョリティーの割合は減りつつあります。

よって残念ながら、この点に関してはとても楽観できないと、私は思っています。

【佐々木】ご著書で「幸福度では下位の国のほうが経済的には豊かで、政情が安定していて、暴力事件が少なく、ずっと暮らしやすい」「幸福度で上位のほうの国は貧しく、問題が多く、暴力事件も多発してはいるが、圧倒的にカトリック教徒が多い」と指摘されているのには驚きました。この数字からは、宗教というものが持つ意味が伝わってきます。

しかしいまは先進国ではどの国でも宗教離れが進んでいます。日本でも伝統的仏教は、多くの人にとっては近親者の葬式の際にしか出会う機会はなく、「葬式仏教」とも揶揄やゆされているありさまです。

こういう状況を乗り越えて、私たちは宗教に回帰すべきなのでしょうか。

【シュミル】鍵を握るのは宗教ではなく精神性だと、私は考えています――宗教のなかには、形式にこだわるものもあれば、組織や階級を偏重したり、不自然な儀式を押しつけたりするものもありますから。

人類そのものも、人類の偉業といわれることも、気の遠くなるような地球的な進化のほんの一部に過ぎないということを気づかせてくれ、私たちが鼻にかけていることをもっと大きな枠組みでとらえ、限界を思い知らせてくれるもの、それこそが精神性なのです。

人間は「ニュース、願望、目標」に絶え間なく振り回される

【佐々木】「私たちが鼻にかけていることをもっと大きな枠組みでとらえ、限界を思い知らせてくれるもの」という言葉はとても印象深いです。ともすればヒエラルキーや教義にとらわれがちな既存の宗教ではなく、もっと大きな概念をわたしたちは持つべきなのだと思います。

私たちはなぜ生まれてきて、なぜ死んでいくのかという人間としての最も根源的な疑問も、そういう大きな概念の中で考えていければと思います。

未来に、おっしゃるような精神性が多くの人に広まっていくことは期待できるでしょうか。

【シュミル】そう期待したいところですが、根源的な疑問について沈思するだけの余裕は、大半の人にとってほぼなくなっています。

ニュース、気晴らし、要求、願望、野心、目標といったものに絶え間なく振り回され、頭がいっぱいになっているうえ、そうした願望や目標にはきわめて非現実的なものが多いため苛立ちが高ずるばかりで、明晰な思考ができなくなっているのです。

言わずもがなの話ではありますが、すべての組織宗教はもうとっくに役割を終えているにもかかわらず、延命する道をさぐり、教条主義にとらわれ、ヒエラルキーに固執していて、その結果、どこにでもあるような団体になりさがっています。