本物であるためには人気を落とさねばならない

コバーンはオルタナティブ音楽へのこだわりとニルヴァーナの商業的成功の折り合いをつけることが、どうしてもできなかった。結局はこの袋小路から抜け出すために自殺した。誠実さがことごとく失われる前に、完全に裏切り者になる前にいま終わるほうがましだと。そうやって「パンクロックこそ自由」という己の信念を堅持することができた。

すべては幻想かもしれないとは考えなかった。オルタナティブもメインストリームもない、音楽と自由との関係も、裏切りなんてものもない。ただ音楽を創造する人間と音楽を聴く人間がいるだけだ。そして素晴らしい音楽を創れば人は聴きたがるものだ、とは考えなかった。

では「オルタナティブ」という発想はどこから生じたのか? 本物であるために人気を落とさねばならないという、この発想の源は何なのか。

ヒッピーすら“生ぬるい”と感じていた

コバーンは彼の言い方で人生の「パンクロック入門コース」の卒業生だった。パンクの精神の多くは、ヒッピーを象徴していたものの拒絶に基づいていた。やつらがラヴィン・スプーンフルを聴くなら、おれたちパンクはG・B・Hを聴く。あっちにはストーンズがいたが、こっちにはヴァイオレント・ファムズが、サークル・ジャークスが、デッド・オン・アライヴァルがいた。向こうが長髪なら、自分らはモヒカン。連中がサンダルなら、ミリタリーブーツを履く。ヒッピーが無抵抗主義なら、パンクは直接行動だ。おれたちは「非(アン)ヒッピー」なんだ。

コンサート中にメロイックサインを掲げて喜んでいるファンたち
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なぜヒッピーにこんな敵対心を燃やしたのか? ヒッピーが過激だったからではない。過激さが足りなかったからだ。あいつらは寝返った。コバーンいわく「偽ヒッピー」だ。映画『再会の時』がすべてを語っている。ヒッピーはヤッピー〔都会に住む若いエリートビジネスマン〕になったのだ。コバーンは口癖のように言っていた。「おれが絞り染めのTシャツなんかを着るとしたら、そいつがジェリー・ガルシア〔ヒッピー文化を代表するバンド、グレイトフル・デッドの中心人物〕の血染めの場合だけだ」。

1980年代の初めには、ロックンロールは、かつての自分自身の色あせた拡大再生産と化していた。スタジアム・ロックになってしまった。『ローリング・ストーン』誌はくだらないアルバムの宣伝ばかりで、独りよがりな企業のセールス媒体になりさがった。コバーンの姿勢に鑑みるに、『ローリング・ストーン』の表紙に出てくれと頼まれたときの、きまりの悪さは想像もつかない。