「死後の世界はあるか?」の質問に釈迦は「語っても意味のないこと」

まず仏教の祖、お釈迦様は死後世界をどうとらえていたか。お釈迦様と弟子の問答、「毒矢のたとえ」という逸話が残されている。

精霊流し(京都市・廣澤池)
精霊流し=京都市・廣澤池(撮影=鵜飼秀徳)

ある時、お釈迦様は弟子から、「死後の世界があるかどうか」と問われた。

そこで釈迦は、

「弟子よ、たとえばある男が毒を塗られた矢で射られたとしよう。男はこう言う。『私を射た者の階級はバラモン(僧侶)か、クシャトリヤ(武士)か、ヴァイシャ(平民)か、スードラ(奴隷)か。あるいは、私を射た者の背は高いか、低いか。また、あるいは私を射た者が使用した弓や矢はどんな材質でどんな形状か…それらが分かるまで、この矢を抜いてはならない。それを私は今、知りたい』と。そうこうしているうちに、その男の命はなくなってしまうだろう。必要なのは、まず毒矢を抜くことなのに。お前の問いはそれと同じだ。お前の問いは、人間の本質的な苦しみや悩みとは関係のないことだ」――。

つまり、「語っても意味のないことだから、扱わない」というのがお釈迦様の回答だった。

江戸時代以降、「霊魂」の存在を巡り宗派の解釈が生まれた

だが、6世紀に大陸から日本に伝えられた仏教は原始仏教の考えから、大きく変容した。古来の神道や中国の儒教など、積極的に霊魂の存在を認める宗教と混じったからだ。

江戸時代以降は先祖供養が庶民の間に普及すると、「霊魂」の存在をめぐって、各宗派のさまざまな解釈が生まれていった。

ここで少し日本の宗派仏教について、少し解説してみたい。

仏教が、インドや中国、朝鮮半島を経て日本に伝来したのは西暦538(欽明天皇13)年(一説には552年)のことである。7世紀には聖徳太子によって日本仏教の基礎が築かれた。

奈良時代に入れば、遣唐使によってもたらされた学問系の南都六宗(三論・成実・倶舎・法相・華厳・律の各宗)が成立。

平安時代には唐に渡った伝教大師・最澄が天台宗を、同じく唐の留学生で、真言密教の秘法を伝授された弘法大師・空海が真言宗を立ち上げた。

仏教や日本古来の山岳信仰、神道、シャーマニズムなどと融合した修験道(山伏)が生まれたのも、平安期のことだ。

鎌倉時代にかけては末法思想の影響を受け、新仏教が次々と生まれた。それらは武士階級や民衆が好んで受け入れ、社会に広まった。禅宗系(曹洞宗や臨済宗)、浄土系(浄土宗や浄土真宗)、日蓮系(日蓮宗)の各仏教教団が続々、誕生。今につながる宗派仏教の大枠が完成したのがこの頃だ。