ネットで見かけるニュースの見出しは似ていることが多い。ノンフィクションライターの石戸諭さんは「『数字を残せば良いニュース』という発想で、見出しの競争が行われているからだ。これはニュースにとってもっとも大事な信頼を傷つけるというリスクがある」という――。

※本稿は、石戸諭『ニュースの未来』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

地下鉄で携帯電話を使用する若者たち
写真=iStock.com/NanoStockk
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インターネットと新聞では見出しの技術が異なる

インターネットメディアの世界では、ニュースに「共感」の押しつけが持ち込まれようとしています。的確に感情にアプローチし、人々がどのようにクリックするのか、どのような中身でシェアするのかを追求しています。これは新しいこと、良いニュースの追求ではありません。どれだけページビュー(PV)を稼げるか、どれだけSNSでシェアされるかの競争にすぎないのです。競争の行き着く先は「良いニュースとは数字が取れるニュース」ということになります。

数字を取るために必要な感情を揺さぶる技術は、見出し論争に集約されています。新聞の見出しは内容を端的に説明する見出しです。記事を書く部署と見出しをつける部署は分かれていて、最終的な見出しの決定権は見出しをつける部署が持っています。彼らの熟練の技は、記事を全文読まなくてもわかる見出し、つまり要約されている見出しをつける技術にあります。ところがインターネットではこの手法は不向きです。中身を読んでもらわないといけないのに、「要約」されていては誰も中身に興味を持たなくなってしまうからです。

インターネットの見出しはいかに読んでもらうか、シェアしてもらうかという観点から発展してきました。その到達点が人の感情にアプローチして、喜怒哀楽を揺さぶり、何か読まないとまずいかもと思わせる手法であると言えるでしょう。見出しのつけ方は大まかに五つの方法に分けることができるのではないかと考えています。事例を挙げてみましょう。