兄がいない期間は自由そのものだった

家庭内暴力被害について話すと、当事者ではない人から「お兄さんが暴れているとき、警察に通報して現行犯で逮捕してもらえばいいのでは」と言われることがあるが、私たちはすでにこの方法も十分検討済みであった。そして結果、現実的な解決法ではないと判断し、却下していたのである。

私たちが最も恐れていたのは、報復だった。一時的に兄の身柄が確保されたとしても、そう長く拘留されないことを、私たちはよく知っていた。私たちが兄を通報し、兄が逮捕されたとしたら。兄は私たちを激しく恨み、出所して戻ってきた暁には暴力が激化し、殺される可能性も十分ある。兄の性質上、たとえどこへ逃げたとしても、絶対に追いかけてくるであろうことは明らかだ。

兄には、逮捕歴がある。それは私たち家族への暴行によるものではなく、他人への暴行、恐喝などの容疑で、17歳くらいのときに逮捕されたのである。母親は息子が逮捕されたことにショックを受けていたが、私はというと、内心かなりホッとしていた。兄がいない期間は自由そのもので、殴られることもなければ、金をゆすられることもない。しかも今回の逮捕では、自分たちへ兄からの恨みが向くこともない。

はずだった。

刑務所から戻った兄からの「報復」

刑期を終えて出所した兄は、これまで以上に精神が荒んでいて、前科がついたことで自暴自棄になって帰ってきた。

「俺の人生は終わった、もう何回逮捕されても一緒、何も怖いものはない」「お前ら全員、殺してやる」などと言い、以前よりも暴力がさらに激化してしまった。私たちの体にアザや傷があるのはいつものことだった。学校の先生など、私の体の異常に気付いた大人は少なからずいたが、誰一人として「家で殴られているのか」と聞いてくる者はいなかった。

兄の暴力の恐ろしさは、私が就職と同時に実家を逃げるように飛び出して7年以上たった今でも、忘れられない。毎日のように兄に殴られる夢を見ては「助けて」「やめて」と叫びながら飛び起きたり暴れたりする生活を、精神科に通院しながら、もう何年も続けている。

しかし、本当の悪夢から抜け出せていないのは、母親の方かもしれない。母親はまだ、兄と同居を続けている。いくら説得しても逃げようとせず、私に「あの子が30万円用意しろと言うから、借金の仕方を教えてくれ」と泣きながら電話をかけてくることも、兄が母親に危害を加えるのを恐れて、私が代わりに金を用立てることもあった。

「あの子を生んだのはあたしだから、最後まであたしが責任取らないといけないから」

そう話す母親が救われる方法は、まだ見つかっていない。