ヤマトのエゴによって沖縄が一方的に犠牲にされる

沖縄戦では、ヤマトが沖縄を「皇土防衛のための捨て石」として利用した。結果、大勢の沖縄住民が軍事動員された。地上戦が泥沼化すると、日本軍は住民虐殺・食糧強奪・壕追い出しに及び、住民の4人に1人が犠牲になった。

その後、「天皇メッセージ」によってヤマトの独立と引き換えに沖縄は米軍占領下に入り、沖縄への米軍基地の偏在が加速、現在も日本国内にある米軍専用施設の7割が沖縄に押しつけられている。その上、沖縄の民意に反した辺野古新基地建設が強行されている。

空から見る沖縄
写真=iStock.com/CatLane
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沖縄の戦中・戦後史を通し、「ヤマトのエゴによって沖縄が一方的に犠牲にされる」という構造が温存されてきた。私はこの現象を「歴史的・構造的沖縄差別」と呼んでいる。

なぜヤマトは歴史的・構造的沖縄差別を現在まで続けてきたのか。戦争や基地の被害を直接作り出すのは軍や政府だが、私たちヤマトンチュの一人ひとりが歴史的・構造的沖縄差別の現実を避けているとはいえないか。「自分も沖縄に痛みを強いる構造の一端を担っているのではないか?」という当事者意識がないからこそ、現在も沖縄はヤマトの犠牲にされているのではないか――。

遺品展では、修学旅行時に私が自問自答した内容を観覧者にも問いかけながら、沖縄の戦中・戦後の歴史に無知・無関心であることの罪深さについて共に考え、議論するようにしている。それが歴史的・構造的沖縄差別の終焉に向けて、個人レベルでできる取り組みの第一歩だと考えるからだ。

戦没者の遺骨を、新たな戦争につながる基地の「建材」に

そのような取り組みを行ってきた私にとって、具志堅氏のハンガーストライキは、「歴史的・構造的沖縄差別が現在進行形の問題である」という事実を改めて見せつけるものであった。

戦没者の遺骨を、新たな戦争につながる基地の「建材」として利用するという蛮行を行っているのは日本政府であり、それに対する責任は全国民が等しく負うべきはずだ。それにもかかわらず、私たちヤマトンチュはその問題自体に無関心である上、それを問題提起する負担さえ沖縄に押しつけている。

具志堅氏はこの問題を命懸けで訴えているが、ヤマトンチュはその抗議の声を無視・黙殺し、沖縄が犠牲にされる構造を温存してきた自分たちのあり方を反省すらしない。このままでは歴史的・構造的沖縄差別は永遠に解決できないのではないか。そう考え、私は「若者緊急ステートメント」を呼びかけた。