ケナンが指摘したアメリカの対中幻想

そして、日本が提示する「導き」や「指導性」の姿勢は、具体的には、「中国に対する距離の取り方」に係る知見や経験に表れる。ケナンが『危険な雲』書中に残した次の記述は、そうした「中国に対する距離の取り方」が特に米国では永らく適切に把握されてこなかった事情を示唆する。

私は、もっと緻密で高度に政治的な関係を中国と持ちたいと夢みている人びとがいることを知っている。彼らの夢は――ふしぎなことに、数十年前と変わらぬ古風な夢だが――中国人が極東問題だけではなく、世界政治でも米国の偉大な友人、パートナーであるとしている。こうした人びとは、米国が遅滞なくこの夢の実現に行動するのを望んでいる。このような見解の根拠を私は理解できない。中国は世界情勢のうえで、地理的にも歴史的にも米国とはまったく異なった立場を占めている。

米中国交樹立のわずかに数年前の時点でケナンが示した対中認識は、マイケル・R・ポンペオが前に触れた「ニクソン記念館演説」にて、リチャード・M・ニクソン以来の米国歴代政権の対中関与政策を失敗と総括した事情を踏まえるとき、その正しさが今や証明されたと評価できよう。

日本の対中経験の蓄積を共有せよ

もっとも、「地理上や歴史上、中国が国際情勢の中で占める立場は米国とは異なる」というケナンの認識は、米国に永らく残った対中幻想を一喝いっかつする意義を持ったかもしれないけれども、日本の視点からすれば、それ自体が何の変哲もない自明のものであるという評価になる。

故に、少なくとも明治以降、「中国の異質性」への認識の上で積み重ねてきた日本の知見や経験は、米国を含む「西方世界」諸国の対中認識に際して参照されるべく、多彩に紹介される必要があろう。ケナンが披露した「お互いの相違点はそのままに、多くを求めず」という対中姿勢を裏付ける思考を「西方世界」諸国全体で共有することが今後、大事になっていくのであろう。