「日本属国論」のたぐいが見落としていること

しかも、日本の論壇では、政治的スペクトラムの左右を問わず、こうした日本の対外姿勢における「受動性」が自ら克服すべきものではく、戦争の敗北や占領の歳月を経て米国から押し付けられたものであるという趣旨の言説が、永らく一定の影響力を伴って繰り返し披露されてきた。そうした言説は大凡おおよそ、「米国の属国としての日本」という自画像の上で、日本の対外姿勢における「受動性」や「桎梏しっこく」から脱するには、ず米国の政治上、思想上の影響力を排除しなければならないという論理を展開する。それは、ケナンが言及した戦後日米関係における「一種の親密さ」の意義を全く顧慮していないのである。

レーガン米大統領来日
写真=AP/アフロ
中曽根康弘首相(当時、以下同。右端)が別荘として所有していた日の出山荘に招かれ、茶を楽しむロナルド・レーガン米大統領(左から2人目)=1983年11月11日

筆者が観る限りは、ケナンの期待に沿って日本が動いたのは実質上、中曽根康弘内閣と安倍晋三内閣の2度であったように思われる。中曾根康弘にせよ安倍晋三(前内閣総理大臣)にせよ、ナショナリスト色の鮮明な政治家として語られたけれども、彼らにおける対米関係上の成功とは、彼らのナショナリズム志向がケナンの言葉にある「能動性」の要請に合致したことにる。中曽根や安倍がそれぞれ演出した「ロン・ヤス」関係や「安倍・トランプ」関係は、日本の「能動性」の所産であったのである。

菅政権に問われること

そして、安倍が対米関係に示した「導き」や「指導性」の具体例こそ、FOIP(自由で開かれたインド・太平洋)構想であり、QUADと通称されるQSD(日米豪印4カ国戦略対話)の枠組みであったという評価になるのであろう。しかも、2015年に安倍が成就させた安全保障法制策定は、そうした対米関係上の「導き」や「指導性」の裏付けとなるものであった。加えて、2016年に安倍がバラク・H・オバマとともに実現した「広島・真珠湾の和解」は、ケナンが指摘した「戦争を経た日米両国の『親密さ』」を確認する契機ともなった。

故に、「安倍政治の継承」を掲げて登場した菅義偉(内閣総理大臣)に問われるのは、対米関係の運営や対外政策全般の展開に際して、「受動的ではなく能動的に発言する要石」という自画像の上で、「導き」や「指導性」を提示する姿勢を続けることができるかということである。現下の第2次冷戦の下、日本は、中国とは地勢的に隣接し歴史的には千数百年を超す交流の時間を持つともに、近代以降は2度も干戈かんかを交えたという意味においては、「西方世界」でも唯一の国家である。日本が提示する「導き」や「指導性」の姿勢は、既に対米関係だけではなく広く「西方世界」全体の結束に貢献するものとして位置付けられるであろう。