右も左も福祉国家を批判していた

【中村】結局、日本のネオリベ化も民営化も、国民が求めていたということなのでしょうか。

【藤井】貧困問題にせよ少年犯罪にせよ、一般に、福祉国家の下での政府は福祉事業、ソーシャルワークという形で積極的に介入した。当時はその弊害が強く現れた。

家族に政府が易々と介入すれば、プライバシーは損なわれるし、いったん目をつけられたシングルマザーは子どもを簡単に奪われちゃう。

これはヨーロッパのある国の話ですが、遊びに行っている間に子どもが怪我をしたり問題を起こすようなことがあれば、その母親はもう我が子を育てられなくなる可能性さえあった。大きな政府、介入主義的な政府にはそうした問題があった。ここは強調しておきたいですね。

【中村】児童相談所は小さな一つの失敗でマスコミが扇動する袋叩きにあって、逆に介入しすぎても文句をいわれる。何人もの児童福祉関係者の嘆きや愚痴を聞いたことがありますが、彼らは気の毒ですね。

【藤井】公権力の家族への介入は左派やリベラルな人権団体も問題視し始める。政府があまりに巨大化すると、ネオリベを主張する人たちがいる一方で、左派の人たちもこれはよくないだろうということになる。

そして、右も左も福祉国家批判をするようになった。

「変わらなきゃいけない」という気持ちが小泉政権を誕生させた

【藤井】そうしたなかで、いち早く福祉国家を続けられなくなったアメリカやヨーロッパでは80年代にネオリベ的な改革が始まり、当時まだ経済的に調子のよかった日本に市場開放を迫った。

日本郵政グループの発足式であいさつする小泉純一郎元首相(東京・霞が関の日本郵政株式会社)=2007年10月1日
写真=時事通信フォト
日本郵政グループの発足式であいさつする小泉純一郎元首相(東京・霞が関の日本郵政株式会社)=2007年10月1日

【中村】80年代、日本は大きな政府、福祉国家型政府が続いていました。繰り返しますが、いま思えば夢みたいな本当にいい時代だった。

【藤井】しかし、2000年代から民間・行政両方でのネオリベ化が一気に進んだ。八〇年代のネオリベ化の発端が外圧だったとすれば、20世紀末の不況で国内からの声によって一気に変わった。その象徴が小泉純一郎という「変人」首相の誕生ですね。

【中村】小泉純一郎首相の構造改革は、すごく魅力的に見えた。個人的にはX‐JAPANのファンってことに親近感を覚えたり。郵政民営化することになんのメリットがあるのかわからないけど、きっと民営化したほうがいいんだろうという空気があった。わからないけど、「変わらなきゃ!」みたいな。

【藤井】「変えなきゃいけない」という気持ちは、日本社会において大きかったと思います。

小泉はいわゆる旧体制としての自民党を敵にした。アンシャン・レジームです。福祉国家や日本型雇用といった古いシンボルを自民党というパッケージにして叩く。もちろん小泉自身のうまさもあったけど、やっぱりみんなのなかで「変わらなきゃいけない」という気持ちが強かった。