〈私自身、かつて官邸キャップとして内閣記者会と首相の会食に参加しました。オフレコで直接の記事化はできないルールであっても、間近に顔を見て話を聞くことで、関心のありかや考え方など伝わってくるものがありました。
今回の首相との会食への参加には、社内でも議論がありました。桜を見る会をめぐる首相の公私混同を批判しているさなかです。しかし、私たちは機会がある以上、出席して首相の肉声を聞くことを選びました。厳しく書き続けるためにも、取材を尽くすことが必要だと考えたからです。取り込まれることはありません。そのことは記事を通じて証明していきます〉

深夜の懇談で重要なやりとりが明かされることも

これを書いたデスクは、官邸記者クラブのキャップを務めた時代にも、安倍官邸に与することなく厳しく対峙してきた人である。この説明は痛いほどわかる。

自分自身が政治部記者として参加してきた様々な会食を思い浮かべた。

私的な領域である食事をともにすることを通じて、取材相手が「公」の仮面を脱ぐ。永田町を生き抜く相手の本音を探ろうとしてきた。特に、国会周辺の取材では取材相手も分刻みのスケジュールで動いているため、まとまって話ができる会食は、貴重な取材の場になっていた。複数の番記者で囲む会食も多い。

深夜のオフレコ懇談の席で、政権幹部間の重要なやりとりが明かされることも少なくなく、その懇談を設定したり、あるいはその懇談の枠組みから外されたりしないようにすることが、政治部記者として生きていくうえで求められる資質の一つだった。

同調圧力を生む要因になっていく

「南さんがいると、厳しいことを言って、相手の機嫌が悪くなる」

ある時、同じ政治家の番記者に陰口をささやかれたことがあった。「相手」の政治家とは、1対1で話している時に普通に情報を聞けていた。ほかの政治記者から伝えられた時に笑って受け流したが、もし陰口をささやいていた記者が懇談を設定していたら、その枠組みから外されていたのだろう。

「懇談」というものが、同調圧力を生む要因になっていく。公人の匿名発言を助長し、責任を希薄化する側面もあり、記者会見の形骸化にもつながっている。