日本で不貞をすると一発アウトの追放処分。中世のようだ

日本では、幸か不幸かこれらの行為は疑惑の段階で「一発アウト」としてあらゆる界隈からの追放処分が待ち構えている。なぜ日本と欧米ではここまで違うのかと言えば、とどのつまり前掲したように我が国は経済成長が止まり、社会の停滞が長く続き出口の見えない中世と同様の状況に置かれているからである。

功利主義の追求は、合理的発想とほぼイコールである。いかに企業の業績を上げるか、いかに生産性を上げるかは、合理的発想を基礎として行われる。合理的発想とは科学的発想と近似的であり、その中からは不道徳、という損得に直接関係が無く統計的に示されない不確かなものは除外される。

トイレ不倫は、刑事事件はおろか民事訴訟にもならない

こういった合理的発想は成長がゼロになると希釈化する。事実、ほぼ90年代終末まで、芸能人や著名人の不道徳はワイドショーを騒がせたものの、それは賑やかしや演出の範疇の類で、それをもって業界から追放されるという極めて他罰的な発想は希薄だった。むしろそういったスキャンダルは著名人にとっては逆説的に売名になったし、不道徳・不倫が文学の一ジャンルとして社会現象にまでなった時代もある(渡辺淳一著『失楽園』1997年、連載は95-)。こういった現象は21世紀になるとパタと止まった。同じ不倫を描くにしても、最終的には不倫した双方が身体的にも社会的にも徹底的に破滅するような設定の中で描写される傾向が強くなった(『昼顔』2014年)。通常運転なのは(極論を申せば)弘兼憲史氏の『黄昏流星群』くらいのものである。それもこれも日本経済の成長停止と驚くほどリンクするのは偶然ではない。

さて話をくだんの渡部建氏に戻そう。渡部氏は女性を呼び出しては15分ほどでコトを終わらせたり、帰り際に「またね」と1万円を渡したりしていたというが、氏の乱痴気騒ぎはその後、女性側がどう解釈しても双方の同意を得た行為であって刑事事件ではない。また、不倫は民事訴訟の対象になりえるものの配偶者と家庭内で決着が付き、それを不問に処せば民事案件ですらない。