特捜部長宅の近くで、新聞記者を待ち伏せ

しかし、いくら新聞記者が「知る権利」を振りかざそうと、そもそも情報を“くれてやる”側と“いただく”側との人間関係がイーブンであり続けることは難しかろう。まして、むき出しの国家権力そのものである検察は、新聞記者にとっても正直、「怖い」存在。かつてはほぼタブーだった旧大蔵省(現財務省)が「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」で袋叩きに遭った際、「大蔵はたたけるが、法務省はなあ……」という新聞記者のボヤきを覚えている。今回の件を見る限り、この関係は数十年来変わっていないのではないか。

最高検察庁、東京高等検察庁、東京地方検察庁、東京区検察庁などが入る中央合同庁舎第6号館(東京都千代田区霞が関)=2020年5月1日
写真=時事通信フォト
最高検察庁、東京高等検察庁、東京地方検察庁、東京区検察庁などが入る中央合同庁舎第6号館(東京都千代田区霞が関)=2020年5月1日

約20年前、週刊誌記者だった筆者は都内にある当時の東京地検特捜部長の自宅に赴いたことがある。夜の閑静な住宅街。最寄りの駅から街灯が並ぶ道をとぼとぼ歩き、薄明るい電柱のあたりでじっと待ち伏せ。年明け間もない肌寒さが身に染みた。

前年末にはじけたある政治家にまつわる事件についての夜回り取材、というか、こちらの用件は事件そのものとは直接関係はなかった。その事件に関する全国紙の記事が、鬼の特捜部長に「フライング」とみなされて怒りを買い、同紙はいわゆる「出入り禁止」を食らった。そこで、その記事を書いた記者本人が、年始に特捜部長の自宅にお詫びのあいさつに訪れ、玄関先でなんと「シシ舞」を披露したという。その真偽を確かめるべく、特捜部長宅を夜回りに来る記者を待ち伏せしていたのだった。

新聞・TV記者たちに取り囲まれた

待つことしばし、わりとにぎやかな談笑の声とともに6、7人の集団が歩いてきた。1人ずつハイヤーで来るのかと思っていたのでちょっと意外だったが、司法クラブの記者たちだと踏んで接近した。

と、住宅のブロック塀を背に三方を記者たちに囲まれてしまった。不意打ちとなったせいか、完全に警戒されたようだ。とりあえず名乗ったうえで会話の糸口を探し、しょうもない雑談を交わしながら、目当ての記者を探そうとしたが、こちらが名刺を差し出しても、皆ポケットに手を入れたり、よそ見するフリをしたりと誰一人受け取ろうとしない。シシ舞の話には皆うんともすんとも応えない。

その後、いったんバラバラに。特捜部長を囲む取材の場に、筆者のような「異物」が混じると都合が悪いようだった。こちらも帰宅するフリをして、時間をかけて周囲をぐるっと回り、もう一度出向いてみたが結果は同じ。その日はあきらめた。後日、問い合わせた全国紙の広報担当から、記者はシシ舞を踊ったのではなくシシ舞の指人形だったのだとの回答があった。

記者はそんなにみっともないことをするのか? というか、そんなことが記事になるのか? 等々、疑問は尽きないが、公権力の監視役と称して肩肘張っている職業ではあっても、常日頃情報をいただく取材先、特に極秘の捜査情報を扱う検事と司法クラブの新聞・テレビ記者との力関係を考えると、まあうなずけるエピソードなのだ。記者諸氏は後で特捜部長に、「誰かオレの自宅の場所を洩らしただろう」ときつく怒られたという。