作品が描かれた歴史と描かれた時代は合わせ鏡

縄田一男「今回のリストは、いくつかの基準に基づいて選定しています。

小説ではまず、作品に描かれた歴史と、作品が世に出た時代の世相が合わせ鏡になっているもの。

大佛次郎の『赤穂浪士』が出版された昭和3年前後は、空前の就職難を表す「大学は出たけれど」という言葉が流行ったぐらいの大恐慌期。そんなとき、赤穂義士と称されてきた四十七士を、大佛が初めて“浪士”と名付けました。明らかに、昭和初期の時代背景を意識しています。

海音寺潮五郎の『茶道太閤記』は、昭和16年の刊行。千利休が秀吉から切腹を命じられたのは、朝鮮出兵について意見をしたからだと、日本軍が大陸に進行している真っ最中に書いた。当時の利休の評価は非常に低かったので、天下の太閤と茶坊主を対等に扱うのかと批判も多く、新聞での連載期間も縮められてしまうんですが、海音寺の時局を恐れない豪胆さは、記憶されるべきものだと思います。

中里介山の大長編『大菩薩峠』は、時代小説の主人公のひとつの形をつくった作品です。盲目のニヒリストの剣士が理由のない殺人を重ねていくというストーリーですが、中里は幸徳秋水らと親しくしていた人で、大逆事件の後、『大菩薩峠』を書き始めます。そこには死という絶対的なものが非常に屈折した形で漂っていて、やはり書かれた時代が入り込んでいるんです。

杉本苑子の『孤愁の岸』は、徳川幕府が薩摩藩つぶしのために負わせた木曽川の護岸工事を描いたもので、途中で多くの死人が出て、完成後に責任者も腹を切って死にます。これは杉本の少女時代、まだ何の思想も持っていなかった頃に、学徒出陣の学生たちを見送った際の感慨が込められていると言われています。工事の途中でばたばた倒れていく薩摩藩士の姿に、学徒出陣から帰らなかった若者たちを重ねて描いたわけです。

最近の作品では、2019年に出たばかりの伊東潤『真実の航跡』でしょうか。太平洋戦争下の日本海軍最大の汚点、ビハール号事件を扱っています。日本の重巡洋艦がイギリス商戦を撃沈して、1度は多くの乗組員を助けながら、のちに一部を除いて69名を虐殺してしまったというもの。作者はこの事件を、軍隊という硬直した組織に下達された命令に対し、それぞれの立場での忖度が加わった結果による悲劇だと考えていて、昨今の各省庁やスポーツ界の不祥事にも通じる問題が横たわっている。決して過去の話にはしていないんです。