なぜボルトが世界のトップに立つことができたのか

ここでは、なぜボルトが世界のトップに立つことができたのか、その理由を探っていきたい。

異次元のスピードで走ってくるウサイン・ボルト
Getty Images=写真

①成長できる環境

ボルトは恵まれた肉体を持つ。特に彼のアキレス腱の長さは見事としか言いようがない。ただし、そうした素質をさらに引き出したのは、彼の育った環境である。

彼の自伝には、幼少期から家の近くの森を走り回り、目についた果物をもぎっては食べていた描写が出てくる。自然の中に飛び込み、不整地を仲間と駆け抜ける少年。そして天然の恵みである食べ物がボルトの強靭な肉体を作ったといっていい。

周りの環境がボルトの資質を形作ったのだ。

②陸上はストイック

ボルトはスポーツ好きな少年だった。学校に通うようになってからは、陸上で才能を示す一方、クリケットにも熱中した。最終的に彼が陸上を選んだのは、父が個人競技を勧めたからだ。

「クリケットは、チーム内の政治が絡む。監督がおまえを選ばなかったら、試合に出られない。おまえの責任で完結できる陸上がいいんじゃないか」

ボルトは高校を卒業してから故郷を離れ、ジャマイカの首都キングストンでトレーニングを積むようになるが、そこで彼は「パーティーピープル」になる。もともとのお祭り好きには、夜の刺激が強すぎたのだ。

しかし、陸上のトレーニングシーズンが始まると、一気にストイックになる。練習に集中し、陸上に対して時間を捧げるようになるのだ。

ただし、ボルトが100メートルで世界記録を出すようになったのは、偶然的な要素が強い。彼のコーチは、ボルトの特質は200メートルと400メートルに向いていると考えていた。ところが、400メートルの練習はキツい。時に600メートルを走ったり、やや持久的な要素が入り込んでくるからだ。ボルトはこれを嫌がり、400メートルの代わりに100メートルをやらせてほしいとコーチに頼み込んだ。とあるレースで10秒10を切り、コーチを納得させた。100メートルの練習のほうが前向きになれた、とボルトは語る。

とはいえ、オリンピックとなればボルトはコーチの計画には従った。ストイックな姿勢を維持できたからこそ、彼は先頭を走り続けることができたのだ。

③スイッチの切り替え上手

ロンドンオリンピックの前のこと、イギリスに向かう機内に乗ったボルトは、自分の携帯で自撮りの動画を撮影しながら、こう話す。

「俺は王者としてここに帰ってくる。それまで携帯の電源を切る」

なんと、ジャマイカからイギリスに向かう最中からオリンピック期間中までボルトは携帯の電源を切っていた。余計なことに煩わされないよう、競技にすべてを注入するために。

当時はまだインスタグラムもなく、今ほどSNSは発達していない。しかし、ボルトは余分な情報を遮断することにためらいはなかった。