イノベーションの肝は「井戸を掘る」こと

フレクスナーは天才それぞれのモチベーション[訳注:やる気を起こさせる心理的な誘因、または動機づけ]が違うと気づき、相手に応じてスカウトの仕方を変えた。

たとえば、革新的な経済学者のエドワード・アーリーは結核を患っていたが、フレクスナーはアーリーの才能と人柄を高く買い、病気で仕事を失っていた彼に教授のポストを提供した。

数年後、快復してアインシュタインやワイルの同僚になったアーリーは、フレクスナーへの恩義から研究に励み、経済学で大きな業績を挙げた。さらにアーリーは、気難しく頭に血が上りがちな天才たちの仲介役も買って出た。健康が危ういときに親身になってもらえたことで、感謝と忠誠心を抱くようになったのである。

高等研究所の創設にあたって、フレクスナーは数学と物理学をまず中核ミッションに選び、のちに経済学と歴史学を加えた。今日も高等研究所には、数学、歴史学、社会科学、自然科学の四部門しかない。多くのことで適度に秀でるよりも、少しのことで世界トップレベルになろうというもくろみだ。

こうした集中的なアプローチは、イノベーションの創出に欠かせない。進歩は万人の知るありふれた知識からではなく、極端に偏った知識から生まれるからだ。

イノベーションの肝は「井戸を掘る」ことであり、「畑を耕す」ことではない。以前、ある化学者に言われたことがある。「問題だらけの課題をどうにかしたければ、焦点を絞るべきですよ」と。

積極的な交流で新たな発明を促した

フレクスナーは才能ある人々をどんどん高等研究所に招き、教授たちと交流させたり、研究を評価してもらったりした。いつもと違う顔ぶれが出入りすれば、常任のメンバーがマンネリや自己満足に陥らずにすむだろうと考えたわけだ。そうして招かれた科学者には、ノーベル賞受賞者のニールス・ボーア、数学者のジョン・フォン・ノイマン、理論物理学者のポール・ディラックなどがいた。

古い問題に新しい手法で取り組むことも、フレクスナーは恐れず支持した。問いさえまだ立てられていない未知の分野への挑戦を勧めた。刺激を与え合ってすごいことが起きるかもしれないと、物理学者、経済学者、数学者、歴史学者、考古学者を積極的に交流させ、実際にそれを起こした。

たとえば招聘しょうへい者から常任教授になったジョン・フォン・ノイマンは、初期のコンピュータに魅せられ、研究棟の地下室でコンピュータを自作した。

フレクスナーはノイマンに理論物理学者になれとも、真空管を扱う電気技師になれとも言っていない。ただノイマンの好きなようにさせたところ、記憶装置を有する最初のコンピュータが生まれたのである。