「なぜ働かないのか」は逆効果

不登校やひきこもり状態になった人は、想像のとおり人目を避ける傾向にある。「学校や仕事に行っていない自分を周りの人が責めているのではないか」と不安になり、「こんな状態では誰にも会えない」と自らを追い詰め、殻に閉じこもっていく。

ひきこもる子どもの親は、知人や親せきから陰に陽に「親がしっかりしないから子どもが甘えるんだ」と言われたり、批判的にみられたりすることも多い。何とか気持ちを奮い立たせて子どもに強い態度で接したところ、それがきっかけとなってますますひきこもるという悪循環に陥るケースもある。

注意したいのは、「自分はこのままでいいのか」と大きな不安を抱き、ひどく失望しているのは子どものほうなのだ。親の力で「何とかせねば」という思いが逆の効果を生む場合もある。

「なぜ働かないのか」といった投げかけを親はついしてしまう。正論や叱咤激励によってひきこもる子どもが発奮して元気になるのならよいが、多くの場合、親子関係は悪化する傾向にあると、ひきこもりの支援に携わる精神科医らが指摘している。

ひきこもる本人が義務教育や社会貢献の必要性を知らないわけでない。頭で理解していても、次のステップをどのように踏めばいいのかが分からないのだ。

親が悩む「恥」の意識と偏見

ひきこもりの問題の解決が容易ではないもう1つの理由は、我が子がひきこもっていることを「恥ずかしい」と考える親の意識である。子育てが間違っていたという思いをもつ親は珍しくないが、その思いが強すぎると、家族以外に相談することもはばかられるようになる。また、子どもがひきこもっていることを親せきの集まりで批判されることもある。1つの家庭のなかでも意見が分かれ、たとえば父親が「子育ては妻に任せてきたのだから、妻の責任だ」と子どもの母親を責める場合もある。

親自らが子育ての責任を感じているところへ、周囲からの批判も加わって、ひきこもる子どもがいることは恥ずかしいことだという意識が強まる。

単にひきこもりに関する恥意識ばかりではなく、精神医療や福祉制度を利用することへの偏見も加わる。親たちはひきこもりの相談をきっかけに、我が子に精神保健福祉サービスを利用してほしいと思ったが、隣町に住む親せきが「自分の子の就職や結婚に差しさわるからやめてほしい」と反対するような場合もある。