プライドは高いが、実は内心自信のないタイプの人物がいる。こうした上司の部下は悲惨な目にあいがちだ。なにせ、自信のなさの裏返しで、部下に権力を見せつけなければ気が済まない場合が多いし、プライドが足かせになって自分の過ちを認められないため、失敗をすべて部下のせいにするからだ。

『三国志』において、このタイプを体現していた人物が、袁紹だった。

袁紹は、後漢王朝において、今でいう首相や大臣クラスを輩出した名家の出身。「俺には生まれついての星がある」とばかり、誰にも負けないプライドを育むに十分な出自を持っていた。

ところがそんな彼も前回紹介した曹操との因縁から、自信をグラつかせてしまったようなのだ。実は2人は、不良少年仲間としてつるんで遊んでいた間柄。文武両道に秀でた曹操と比較して、自分の才能のなさを、若き袁紹が痛感させられたであろうことは、想像にかたくない。

そして、奇しくもこの2人は、天下の覇権をめぐって200年に激突した。それが「官渡の戦い」だ。

袁紹側は名門出身の強みを活かして大きな勢力を築き、10万と称する大軍を擁していた。一方、実力で伸し上がってきた曹操軍は1万たらず。曹操自身が後に「至弱をもって至強にあたる(どうしようもなく弱小の軍勢で、とてつもない大軍と戦った)」と述懐するような、数としては一方的に差がついた戦いだった。

しかし、劣勢だった曹操軍が、袁紹軍の食糧貯蔵庫であった烏巣(うそう)の襲撃に成功してから、戦況が一変する。

袁紹の陣営では、この曹操の襲撃への対抗策が真っ二つに割れたのだ。郭図という参謀は、曹操の本陣が手薄になっているはずだから、そこを襲って一挙に決着をつけるべきだ、と主張した。一方、現場で曹操と渡りあっている張郃(ちょうこう)と高覧という武将は、本陣は守りが堅く攻め落とすのは難しいので、襲撃を受けた烏巣救援を優先すべしと主張した。