確かなモノを発見することで「歴史論争」を回避する

一つ例を挙げてみよう。東村山市にある国立ハンセン病資料館では、証言や文献の他に、考古学的手法によって発掘されたハンセン病療養所にまつわるさまざまな資料が展示されている。日本のハンセン病療養所において、かつて患者に対する非人道的かつ差別的な待遇があったことは証言から確かであるが、物証があると後世への伝わり方が違ってくる。

このように現代の考古学の役割は、単に五千年前の遺跡を掘るだけではなく、茫漠とした情報を考古学と言う方法論によって確かなものにしていくことにも力点が置かれている。換言すれば、確かなモノを発見することで、模糊とした「歴史論争」を回避することができるのである。

VTRへ意図的に「銃・売春・麻薬」のブツを入れる

「クレイジージャーニー」において、ゴンザレスの担当回が面白かったのも、彼が考古学の手法を使い、学問的に対象に接近したからだと考えられる。

彼は、銃密造でも麻薬売買でも、不確かなうわさ話をたくさん集めるのではなく、その存在を証明するためのブツ(物)を客観的に確認できるように、VTRへ意図的に残している。これによって視聴者は、「ヤラセ」では味わえない現代世界の緊張感を体験できるようになる。

これは、証言で実態に迫ろうとする社会学や、文献から事実を解き明かそうとする歴史学とは明らかに異なる手法であり、その学問的姿勢が視聴者の心に響いたのではないかと筆者は考えている。

写真提供=井出 明
ルーマニアの危険地帯「マンホールタウン」の入口を再現したコーナー。同じアングルで写真に収まる筆者。

「見せ方」に工夫があり、「学芸員」としても超優秀

このような視点から今回の展示を見てみると、銃密造や麻薬売買のほかに、ルーマニアの「マンホール・チルドレン」と呼ばれる孤児たち、南アフリカの鉱山の違法操業、フィリピンのスラムにおける排泄物の劣悪な処理状況など、現代の「都市の闇」を丁寧に解き明かしている。

さらに今回は、展示内容の面白さだけでなく、展示の「見せ方」にもかなりの工夫が施されている。たとえば映像を扱ったところでは、1本の動画を数本に分割し、導線に合わせて映像を配置することで、鑑賞者が経路上でうまく分散されるようになっている。