父親からは「帝王学」を教え込まれました。

ある日、父親とファストフード店に行ったときのこと。ボクに1万円札を渡して「みんなが食べられそうなもん、買ってこい」と言いました。1万円札をポケットに入れて、車から降りたのですが、いざお店に行くと、さっき受け取ったはずの1万円札がない。どこを捜してもないから、車に戻って「お父さんごめん。お金を失くした」と言いました。すると、また1万円札を渡してくれました。

ところが、あとから父親に聞くと、ボクが車から降りたら、すぐにお金を落としたらしいんです。そして、浮浪者の人が拾っていったと。これを見ていた父親が言いました。「落とした時点でお前の負け。拾った人はその時点で勝ちだ」と。そして「ただお前は、金を拾う側じゃない。拾われる側にならなあかん」と。

一時は隆盛を誇った会社ですが、ボクが中3のときに倒産しました。バブル崩壊など、いろいろ不運が続いたんですよね。

生活レベルを下げるのは難しい

高校を卒業したボクは、芸人を目指して吉本総合芸能学院(NSC)に進学。下積み時代も、バイトをせずに実家暮らしだったので、ありがたいことに芸事に専念できました。

デビューしたのち、仕事も順調に増えていきました。芸人は、月収10万円を超えるのがまず1つの目標です。それを超えたときが一番嬉しかったですね。そこから2008年まで、30万、40万、50万という感じで、ちょっとずつ増えていった。NHK大阪の番組など、レギュラー番組も数本持っていた時期もありました。09年にはピン芸人の日本一を決める「R-1ぐらんぷり」で優勝。当時の最高月収は200万円くらいでしょうか。ギャラのほとんどは、後輩芸人におごることに使っていました。

そこから、10年4月に東京進出を図りますが、タイミングが遅かった。初めの月から、仕事は舞台数回のみ。テレビはなかったです。当たり前なんですけどね。読みが甘かった。

写真=iStock.com/dobok
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