実は「値下げ後」の価格と変わらなかった

2012年にJCペニーのCEOに就任したロン・ジョンソンは、割高に設定した定価を値引きして適正価格にするという、長年にわたる、正直いってやや不当な慣行を廃止した。JCペニーはジョンソンが就任するまでの数十年間、スーザンおばさんのような顧客にクーポンやセール、店舗限定の値引きをつねに提供していた。これらのしくみによって、水増しされたJCペニーの「通常価格」は値引きされ、「お買い得」感を醸し出していた。

『アリエリー教授の「行動経済学」入門-お金篇-』(ダン・アリエリー、ジェフ・クライスラー著・早川書房刊)

だがじつは、値下げ後の価格は競合店と変わらなかった。顧客と店は、まず価格を上げ、それからさまざまな表示や%、セール、値引きなど、ありとあらゆる独創的な方法を駆使して最終的な小売価格に行き着くという小芝居を演じていた。そしてこのゲームを何度も何度も繰り返した。

そこへロン・ジョンソンがやってきて、店の価格を「公明正大」なものにした。クーポンの切り取りも、特売品探しも、値引きのからくりも、すべておしまい。ライバル店の価格とほぼ同等で、以前の「最終価格」(高い定価を値下げしたあとの価格)と変わらない、実際の価格があるだけだ。この新しい方式が、顧客にとってより明快で、親切で、公正なものになると、ジョンソンは信じていた(もちろん彼は正しかった)。

なぜ得意客は反発したのか

ところが意に反して、スーザンおばさんのような得意客は猛反発した。真正な価格に騙され、ごまかされ、裏切られたとこぼし、誠実で公明正大なはずの価格を嫌い、離れていった。一年と経たずにJCペニーは9億8500万ドルの純損失を計上し、ジョンソンは更迭された。

彼の更迭から時を置かずに、JCペニーのほとんどの商品の定価は60%以上値上げされた。150ドルだったサイドテーブルは、245ドルの「毎日価格」に上がった。通常価格が高くなっただけでなく、値引きの選択肢も増えた。単一の金額が表示される代わりに、「セール価格」「元値」「市場価格」などが合わせて表示された。もちろん、セールやクーポンや特別割引など、利用可能な値引きを適用したあとの価格は、以前の価格とほとんど変わらなかった。だがお客の目にはそうは映らなかった。JCペニーが再びすばらしいお値打ち品を提供しはじめたように映ったのだ。

JCペニーの顧客は自分たちの財布を使って不満を表明し、JCペニーによって操られることを自ら選んだ。彼らはお値打ち品やバーゲン品、セール品を求めた──たとえ水増しされた通常価格を呼び戻すことになろうと構わなかった。そしてのちにJCペニーはその通りのことを行った。

JCペニーとロン・ジョンソンは、価格設定の心理学を理解しなかったがために、手痛い代償を払った。だが同社は最終的に、価値を合理的に評価できないという、人間の無能さを踏み台にしてビジネスを構築できることを学んだ。ジャーナリストのH・L・メンケンもいっている。「アメリカ人の知性を甘く見て破産した者はいない」と。