女優の樹木希林さんが9月15日に自宅で息を引き取った。その“生き様”には多くの共感が集まっている。介護アドバイザーの鳥居りんこ氏は「希林さんは娘さんに『(私を)置き去りにして』と言った。この言葉のように、人生の最期を他人任せにしたくないと考える人が増えているのではないか」という。鳥居氏が接した5人の“見事な最期”について紹介しよう――。

樹木希林が娘に「(私を)置き去りにして」と言った理由

女優の樹木希林さんが亡くなりました。その“生き様”は、夫の内田裕也さんに「見事な女性でした」と言わしめるものでした。

(写真=AFP/アフロ)

葬儀では娘の也哉子さんが「おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」という希林さんの言葉を紹介していましたが、この言葉が胸に響いた方も多かったと思います。

希林さんのような覚悟を持って、それを貫き、生涯を閉じるということはとても難しいことだと想像しますが、今回、筆者はその難しさを承知の上で「人生の冬支度」というテーマで綴ってみたいと思います。

筆者は介護アドバイザーとして、高齢者の介護に関わっているプロの方々、また、そのご家族からお話をうかがう機会があります。今回は、その中で「こんな風に生きて、死ねたら理想だな」と感じた5つの事例をご紹介させてください。

【1:自分の人生を人任せにしないという思考で生きる】

9月26日放送のNHKスペシャル「“樹木希林”を生きる」で、希林さんは自らの余命を悟った上で、娘の也哉子さんにこう話す場面がありました。

「(私を)置き去りにしてって言っているの。みんな、ジリツしてくれって……」

筆者はこの“ジリツ”という言葉は“自立”よりも、むしろ“自律”を希林さんは意識していたのではないかと想像します。つまり、「他からの支配や助力を受けずに、存在すること」ではなく、「自分で自分をコントロールし、自分の意志によって行動できること」に重きを置いていたのではないでしょうか。

自身がそう生きてきたように、娘さんたちにも、母を棄てることに罪悪感を感じず、自分の暮らしを大切にしてほしい。それが幸せにつながる道だから。そんな意味を含んだ言葉だと私は解釈しました。

希林さんと同じような考えだった末期ガン77歳男性

先ごろ、亡くなられた潔さんという77歳の男性も希林さんと同じような考え方をしていました。末期ガンで余命1年と診断された後は、すべての財産を処分し、公正証書遺言を作成した上で、実子に葬儀式次第、死後やるべき手続き、挨拶をしなければならない人などを明記した「エンディングノート」を託したそうです。

当然のようにリビングウィル(尊厳死の権利を主張すること)にも加入し、延命治療は拒否。看取りを引き受けてくれる医院併設の老人ホームを自ら探し出し、実子にすら「見舞い無用」と言って、そこにひとりで引っ越したそうです。

例え、実子といえども、自分のことで暮らしのリズムを崩してくれるなということが潔さんの願いだったと、娘さんに聞きました。

「エンディングノート」などを使って、希望を伝えるということの良さは、むしろ託された側にあるのです。託された側は、できる限り、その思いをかなえようと動きますので、それが結果的に、永遠の別れを迎えることになったとしても「これが親の意志だった」と思い切れます。

他人任せにせず、最期まで「自分の人生を生き切る」という意志を持つことが、旅立つ側、見送る側、双方に納得感がある幕引きになる。そう感じさせる事例でした。