震災から7年「アリバイ復興に意味はない」

しかし彼らの楢葉町に残した家の修復が終わっていない。業者には以前から頼んでいたが、町民がこぞって家の修復を頼んだこともあり作業が終わっていない。「避難のときはさっさと出ていけ。今度は早く戻れ。そんなのあんまりだ」。

そんな松本さん夫婦も楢葉町に自動車で定期的に帰っている。「雨戸を開けて風入れねえと、家が壊れていっちゃうべ」。帰る理由はもう1つあった。「残した猫のみいちゃんに餌やらないと」。大切な家族に会いにいっていた。

「車の音が遠くからわかるのか、帰ると門のところで待ってんだよ。近づくと、今度はお腹をごろっとこちらに向けて寝ちまうだ」。良子さんはみいちゃんの話になるととても嬉しそうだ。

仮設住宅の規則で猫とは一緒に住めなかった。「もう少し頑張って待ってなね」。良子さんは帰るたびに話しかけたが猫は17年亡くなった。楢葉町に帰る楽しみが1つ、消えてしまった。

やっと家に帰れることは嬉しい。しかし「楢葉の家からは、病院やスーパーが遠くなる。コンビニ弁当ばかり食べることになるのだろうか」。良子さんの不安は募る。

復興の意味と7年目の原点

(上)福島県環境創造センターを回る海外の赤十字メンバー。(下)韓国の赤十字メンバーの金宰律さん。

震災から7年。復興とは何なのだろうか。広辞苑には「ふたたびおこること。また、ふたたび盛んになること」とある。吉沢さんは「新しい搾乳場を造った、五輪をやった、そんなアリバイ復興に意味はない」と吐き捨てる。

「7年というのは我々にとっては節目」と日赤担当者。多額の救援金を7年でほぼ使い切った日赤は今後、自前のリソースを使って継続的に健康教室を開くなど生活支援活動を続けていくが、サポートは次のフェーズへ移ろうとしている。これからは災害が起きる前の減災・防災などに注力していくという。藤巻さんは最後に「災害救援に関わる者にとってどこまでが復興なのかは命題だ」と言葉を残した。失われたものは戻ってこない。時間をかけてつくり上げたコミュニティーや町は簡単には戻らない。私たち一人一人に何ができるのか今1度考えたい。

伊藤 詩織(いとう・しおり)
ジャーナリスト、ドキュメンタリーフィルムメーカー
1989年生まれ。ロイター通信東京支局でのインターンを経て、フリーランスに。中東のテレビ局「アルジャジーラ」や英国の経済誌「エコノミスト」のウェブサイトで、ドキュメンタリー番組や記事を発信。日本では雑誌への寄稿を中心に活動している。著書に『Black Box』(文藝春秋)がある。
(撮影=伊藤詩織)
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