小室哲哉の不倫報道をめぐり、『週刊文春』が批判されている。不倫報道ばかりやっている雑誌はつぶれてしまえ、というのは簡単だ。確かに文春は不倫報道に力を入れすぎていた。だが週刊誌がつぶれれば、不倫に限らず、多くの情報も消えてしまう。それでいいのだろうか――。
『週刊文春』(2018年1月25日号)の誌面。

『フライデー』編集部襲撃事件のようになるか?

小室哲哉の不倫報道をめぐり、『週刊文春』(以下、文春)が批判されている。ダルビッシュ有、ASKA、ホリエモン、舛添要一など、一度は文春に取り上げられた“傷”を持つ著名人が、SNSで文春批判をあおっている。

私のところへも新聞や週刊誌、ラジオ局、ネットテレビなど、いろいろなメディアが取材に来た。今にも文春がたった一本の記事で休刊に追い込まれるような騒ぎだ。記事の概要はいまも「文春オンライン」で読むことができる。

小室哲哉 妻・KEIKO介護の陰で看護師との裏切り行為 | 文春オンライン
http://bunshun.jp/articles/-/5887

私は文春を読んで、何となく「哀れ」な不倫物語だと思った。だが、小室が記者会見を開いてから、SNSで文春批判が巻き起こった。

取材にきた朝日新聞の記者には、こう聞かれた。

「文春批判が強まってます。『フライデー』編集部襲撃事件のようにならないですか?」

おいおい、そう来るか。1986年12月、講談社のフライデーがビートたけしの不倫相手だった専門学校生の写真を掲載したことで、たけしをはじめたけし軍団ら12人が深夜、編集部に押しかけ、編集部員にケガを負わせた。

たけしは逮捕された。講談社は会見を開き、今回の事件は、言論・表現の自由を弾圧する行為だという趣旨の発言をした。

これに新聞が噛みついたのだ。フライデーのやっていることは、プライバシー・人権侵害が甚だしいのに、そんなことがいえるのか。世論がこれに呼応し、5誌合わせて総計600万部ともいわれた写真誌の部数は急落し、次々に休刊していった。

文春もそうならないか? なるわけがない。今回の小室の記事は、裏取り、本人のインタビューと、取材はしっかりやっている。小室は「公人」であり、記事では引退もほのめかしていた。今回の記事作りに限って文春側に落ち度はない。

「不倫ばかりやらないで、権力者を追及しろ」だ?

ここから週刊誌の成り立ちを少し講義したい。1956年に出版社初の週刊誌『週刊新潮』(以下、新潮)が創刊した時から、週刊誌は新聞社のできないことを柱にしてきた。

つまりスキャンダルとメディア批判(当時は新聞批判)である。スキャンダルといっても広い。カネ、利権、女。地を這いながら醜聞を嗅ぎまわり、ネタになりそうならチームを組んで動く。

少ない人数と限られた予算でやるために編集長は常に「選択と集中」を考える。売れるスキャンダルはいつの時代も下半身ネタである。

神楽坂の芸者に三本指(月30万円)でオレの愛人になれといったことを週刊誌でバラされ、わずか60日で総理の座から滑り落ちた政治家がいた。

大物政治家が愛人に「お前の母親とやらせろ」といったと文春で暴露され、落選した。

「不倫ばかりやらないで、権力者を追及しろ」だ? 権力者のスキャンダルも芸能人の不倫も、週刊誌にとっちゃ貴賤の別はない。判断基準は面白いかどうかだけだ。