「苦手」「嫌い」と思う相手は、どんな人でしょうか。「ニューズウィーク日本版」の「世界が尊敬する日本人100人」にも選出された僧侶の枡野俊明氏は、「結局は『自分の意に沿わない』からそう思う。自分のものさしを“ゆるめ”にもって、相手の話を聞くことを意識すれば、これまでとは違う空気が流れるはず」と説きます――。

悩みの9割は人間関係によるもの

悩みの9割は人間関係によるものといわれます。職場、学校、家庭、地域コミュニティなどで、人間関係の悩みが一切ないという人はいないでしょう。

人間関係で悩むということは、すなわち相手が「苦手」「嫌い」ということです。ほんとうは距離をおきたい、会話もしたくないと思っていても、職場や学校など、特定の組織に属しているのであれば、容易にできることではありません。相手の存在によって不快な思いを強いられていると感じ、相手のことがますます苦手となり、嫌いになります。

それでは、そもそも人はどんなときに、相手を「苦手」「嫌い」と感じるのでしょうか。ほとんどの場合、原因は相手の発言やふるまいにあるのだと思います。相手の発した言葉で傷ついた、無神経なものの言い方が癇に障った、だらしないふるまいを見て不愉快だった……。そうした自分の意に沿わない言動が、悪印象を持つきっかけになるのです。

枡野俊明『近すぎず、遠すぎず。 他人に振り回されない人付き合いの極意』(KADOKAWA)

絶対的なものさしは誰も持てない

ここで考えてみましょう。相手を苦手と感じ、嫌いになるのは「自分の意に沿わない」言動があるときです。つまり、相手の言葉に傷ついたのも、無神経と感じたのも、だらしなく見えたのも、すべて自分の価値観、自分のものさしによる判断なのです。

自分のものさしは正確無比で、絶対的なものでしょうか。絶対的なものさしをもつことは、誰にもできません。なぜなら、人はそれぞれ価値観が違い、当然、ものさしも異なるからです。

たとえば、職場の先輩が後輩に「そのコート、レトロな感じで素敵ね」といったとしましょう。先輩は、感じたままをストレートに伝えています。ところが、後輩が“このコートもくたびれてきたから、新しいものに買い換えよう”と思っているところだったら、古びているので嫌みを言われたと勘違いするかもしれません。率直な褒め言葉に悪意を感じてしまうこともあるのですから、他人の言動をものさしではかることには無理があります。

もちろん、ものさしはあっていいのです。それは自分の発言や行動の規範になるものですし、ものさしがあることによって、自分という人間がつくられます。ただし、他人をはかるときには、ものさしは“ゆるめ”に使う意識をもつといいでしょう。

無神経なものの言い方が癇に障る相手も、別の人からは率直で裏表がないと評価されているかもしれません。だらしないふるまいが不愉快な相手を、別の人はおおらかと感じているかもしれません。そんなふうにして、ものさしは人それぞれ違うということに思いを巡らせてみるのです。それは人間関係にゆとりをもたらします。イライラ、カリカリすることが目に見えて少なくなるでしょう。