さらに朝日社説は「深刻な状況と言うほかない。暴力体質がぬぐえていないのとはまた別の次元で、協会のあり方に厳しい視線が注がれる」とも指摘するが、一方的に貴乃花親方を非難しているようにも受け取れる。

読売は相撲協会の代弁者なのか

最後に12月1日付の読売新聞の社説を取り上げよう。

「日馬富士引退」というテーマに見出しを「綱を汚す愚行の代償は大きい」と掲げる。この見出しからすると、社説としては主張が弱く、当然のことを指摘しているように見える。

そう考えながら読むと、案の定である。

「引退するしか、責任を取る術はなかったと言えよう」
「不祥事は、ファンに対する裏切りである」
「いかなる理由があっても、暴行は許されない。著しく品格を欠く行為なのは明らかだ」

いずれも横綱日馬富士に対する読売社説の批判であるが、在り来たりの珍しくもない文句である。もっと斬新な言い回しで批判できないのか。書いた論説委員の筆力を疑いたくなる。

ただ「日本国籍を取得していないため、親方として日本相撲協会には残れない。愚行の代償は極めて大きい」と書いた部分は読売社説独自の書き方でそれなりに納得できる。

しかし後半で「力士の先頭に立たねばならない横綱白鵬に、問題のある言動が目立つのはゆゆしきことだ」と書き出し、その後の大半を白鵬批判に費やしているところは納得できない。

「刑事処分などが未確定の段階で、当事者の土俵復帰を軽々に口にすべきではあるまい」
「暴行現場に同席していた白鵬が、万歳を先導するのは不適切だ」
「立ち合いが成立したにもかかわらず、力を抜いて『待った』をアピールした」

さらには「抜きんでた実績が驕(おご)りにつながっている、と言わざるを得ない」とまで書く。こうした読売社説の指摘や主張は、日本相撲協会のそのものである。いつから読売は相撲協会の代弁者になったのだろうか。

社説に新聞の生命線がある

毎日、日経、朝日、読売と社説を読み解いてきたが、いずれの社説も建前やきれい事ばかりを論じている。繰り返すが、「これだから社説は面白くない」のである。

どうしたら読者の目をくぎ付けにできる社説にできるのか。それは簡単だ。本音で書けばいいのである。これまでの足を使った取材で稼いだ事実をひとつひとつ分かりやすく書いて論を展開していけばいい。

ろくに取材もせず、電話で現場にいる後輩記者に話を聞いて書いているようでは読者は付いてこない。

いまの価値観が多様化した社会の中で、新聞のオピニオン面は以前より読まれるようになっている。読者はニュースの見方や考え方を新聞自身が提示することを求めているのだ。大黒柱の社説が面白くなれば、新聞全体も面白くなり、読者離れを防げる。新聞が生き残れるかどうかは、社説の中身にかかっているといっても過言ではない。

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