攻撃できない日本が北朝鮮への「圧力」一辺倒でいいか?
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僕は特に森友学園問題は、その後次々と出てくる音声録音からすると、財務省が嘘をついている可能性が著しく高く、税金を徴収する財務省が国民に嘘をついているとすれば大問題だと認識している。それこそ財務省解体、日本政府崩壊につながりかねない問題だと認識している。さらに、陸上自衛隊の日報問題は、日本の防衛力を高めていく際に、自衛隊幹部の意思決定がこんなにいい加減に行われていたなら非常に怖いことだと感じている。ゆえにこの両問題は、日本の政府組織のあり方を考える上で非常に重大な問題だ。決して小さな問題ではない。
今の北朝鮮危機に対して、安倍さんは、トランプ米大統領とガッチリとタッグを組んで圧力強化に乗り出しているけど、森友学園問題での財務省の不誠実な対応や自衛隊内部の意思決定の杜撰さを見ると、日本政府は信用できない。そんな日本政府で北朝鮮が暴発した時に適切な対応ができるのか。
北朝鮮危機を抑えるために、北朝鮮に圧力をかける「必要性」があることは確かだ。しかし安倍政権には「許容性」の検討が欠けている。
物事を判断するには、「必要性」と「許容性」を常にワンセットで検討しなければならない。今は必要性だけで圧力強化がどんどん進んでいるが、日本は北朝鮮に圧力強化ができるほどの耐性を有しているのか。つまり日本政府の組織は大丈夫なのか、いざ北朝鮮が暴発した時に日本社会はそれに耐えられるのか。日本の自衛隊には攻撃力はなくそれは全てアメリカに委ねている状態で、自分の意思で自分の国を守ることができない国だ。そんな状況でも圧力一辺倒でいいのか。
僕は反対だ。北朝鮮に対して圧力を加える必要性は認識している。しかし日本という国にはそれに耐えられるだけの許容性がない。今の圧力一辺倒の流れは、太平洋戦争に突入していった日本の状況によく似ている。必要性だけの議論で威勢のいいイケイケどんどんの風潮。許容性の検討を行うという謙虚さの欠如。いざ戦争となった時の自分たちへの被害や、勝ち目についての冷静な分析・議論・臆病さの欠如。
臆病な気持ち、恐怖心が欠如している者はケンカで負ける。そういうことを知らない政治指導者層のケンカに対する無知、経験のなさ。こりゃ、完全に太平洋戦争突入時の雰囲気とそっくりだ。
僕は、圧力を加え続けて戦争になるリスクを負うくらいなら、戦争のリスクを避けて、日本も核抑止の方針を採るべき、すなわち核保有、核共有についても検討すべきだというのが持論。
このような僕の主張は、一方からは弱腰! 売国奴!と罵られ、他方からは核の肯定など言語同断と罵られているが、それでも政府にしょっ引かれないだけ戦前よりずっとましな社会だね。
ただこの持論はあくまでも僕の考え。僕の考えを政治的に実現するなら、言論の自由の下で政治に自分の声を届けなければならないし、それができないならそれこそ選挙を通じた政治運動を展開するしかない。
これら森友学園問題や陸自日報問題は連日の報道で徹底批判されてきたし、北朝鮮への圧力についても連日の報道を通じて賛否両論の議論がされている。ゆえに安倍政権としてはいったん国民に信を問うてリセットしたいと考えているのかもしれない。こういう重大事態のときに国民が選挙を通じて安倍政権に審判を下すチャンスを得るということは大変良いことだ。安倍政権の方針が違うというなら国民や野党は安倍さんという権力者を変えればいいだけ。解散総選挙は安倍さんに反対の人や野党にとっては大チャンスなんだ。そもそも野党は、政府与党を早く解散に追い込み、選挙で政権交代を狙うのが一丁目一番地の政党方針のはず。野党が解散を批判するというのは全く意味不明だ。
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