混流生産の原点は、1980年代のマツダの工場にあった

なぜ、そんな突飛な考えに至ったのか? 藤原専務に尋ねてみると、実はこのやり方の一部は、マツダにとって温故知新だったという。「昔のファミリア、カペラ、ルーチェを作っていた時代のマツダの工場では、実は混流生産を行っていたんです。車体を固定する治具台座(じぐだいざ、図)は三面を持ったリボルバー形状になっており、それぞれの面にファミリア、カペラ、ルーチェの車体を固定できるようになっていました」。

この治具を使えば、台座を回転させるだけで3種類のクルマを固定できる。普通ならまずファミリアの予定生産台数を作って、ラインを止め、治具を交換するかセッティングを変えて、カペラを作り……という具合で、度々ラインが止まる。「そうじゃなければ生きていけなかったんです」。お金もない。単一車種でラインをフル稼働できないという制約を跳ね返すために、知恵を絞って回転式の治具を考案したのだ。2010年代の最新技術となる混流生産の萌芽は1982年に山口県の防府工場で誕生したものだった。

1980年代のマツダの工場で使われていた、回転式の三面治具。(提供:マツダ)

生産技術者たちは、このシステムをボディだけでなく、エンジンを組み立てるラインにも援用しようと日夜研究を重ねた。そしてついにそれも完成する。藤原専務は笑って言う。「当時この混流生産について論文にまとめて学会に出したんですが、『何ですかそれは?』と、誰もまともに受け取ってくれませんでした」。

この早すぎた混流生産へのアプローチが、リーマンショック後のマツダの窮地を救った。やむを得ない事情があったにせよ、フォードはマツダを裸一貫で放り出した。その苦境を脱するために、先人達が知恵を絞ったこの混流生産システムが、マツダの奇跡の回復を支えることになったのだ。

一括企画+混流生産=コモンアーキテクチャー

こうしてコモンアーキテクチャーの全貌がおぼろげながら姿を現す。コモンアーキテクチャーとは設計・生産リソースの共有なので、全ラインナップをまとめて企画する「一括企画」と「フレキシブル生産(混流生産)」でなくてはならない。そして最も重要なことは、全てに適用する設計だからこそ、単一車種のための設計とは違う次元のコストを投入して、最良の性能を目指さなくてはならない。もしマーケットの商品評価が低かったらラインナップ全車が失敗する。つまりマーケットを説得できる性能でなくてはならない。

振り返れば、マツダは“数の原理”を使えない境遇を背景に、多品種少量生産を実現する手法を編み出した。選択肢の無い中で生き残りのために作り上げた“弱者の戦略”が、いま一周回って最先端となっている。

汎用設計というと、専用設計に劣るように聞こえるかもしれないが、実はこの汎用設計こそが低コスト、高信頼性、高性能を支えることになる。次回は藤原専務のインタビューを元に、その詳細をさらに明らかにしていきたい。

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