安倍首相は早期解散には積極的で「前のめり型」

2度目の政権で5回目の新年を迎えた安倍晋三首相は1月4日の年頭記者会見で、冒頭に今年の干支の「酉年」を強調し、12年前の2005年の小泉純一郎元首相の郵政解散、48年前の1969年の佐藤栄作元首相の沖縄返還合意による解散も酉年だったと切り出した。だが、質疑での答弁では「解散の2文字をまったく考えたことはない」と言い切った。

衆議院の解散については、前回の総選挙から1年8カ月余が過ぎた16年9月頃から解散風が吹き始め、12月の日露首脳会談が決まると、北方領土問題好転の見通しを理由に、12月~17年1月の解散論が勢いを増した。その後、日露交渉不調の気配が強まり、16年11月後半以降、菅義偉官房長官が解散風の鎮静化に躍起になっているという話が伝わる。17年に入ると、首相の解散否定発言が続き、高まっていた早期解散論は急速にしぼんだ。

だが、昨秋以降の解散風は安倍首相自身が源で、側近グループの発信が火元だったという見方が有力だ。首相自身、16年7月の参院選でも衆参同日選実施に意欲的だったと後で認める言葉を口にしたが、安倍首相はもともと早期解散には積極的で「前のめり型」と見て間違いない。「首相は解散問題ではいくら嘘をついてもいい」という言葉がある。否定発言にかかわらず、今も「早期解散・完全消滅」とは断定できないが、前のめり型の安倍首相が先送りに傾いたとすれば、16年後半以後の内外の情勢変化が大きく影響したのだろう。

イギリスのEU離脱、ドナルド・トランプ氏の大統領当選、韓国大統領の急失速など激動が続く中で、例外的に「安定政治」の日本があえて波乱要因の解散・総選挙に打って出るタイミングではないという判断が働いたのか。あるいは野党共闘の動きや7月の小池百合子・東京都知事登場で、選挙情勢に変化が生じたのか。「与党議席大幅減も」という総選挙予測データを見て、16年7月の衆参同日選見送りと同様に、菅官房長官がブレーキをかけたのかもしれない。

早期総選挙論は安倍首相の改憲戦略と表裏一体だったはずだ。「在任中の改憲実現」が悲願だが、それには「後出し改憲」という批判を浴びないために、先に憲法問題を争点とした「改憲総選挙」に挑み、国民の信を得て改憲挑戦というやり方を取らなければ、国民投票という壁は突破できない。首相自身はこう考えていると見る。

改憲の発議には衆参で総議員の3分の2以上の賛成が必要で、現在は自民党、公明党、日本維新の会、日本のこころを大切にする党、与党系無所属の「改憲勢力」の合計議席は衆参で3分の2を超えている。ここで総選挙を実施して、もし3分の2を割り込むことになれば元も子もない。そんな消極論に傾斜したとも考えられるが、安倍首相は別の改憲戦略を構想し始めたのではないか。