国が豊かでも幸福度は上がらない

前回はヘドニックトレッドミル、快楽順応についてお話しました「なぜ、非富裕層は幸福感を簡単に忘れるのか?(http://president.jp/articles/-/18398)。ポイントは以下のような点です。

昔から道歌で「思うこと 一つ叶えばまた二つ 三つ四つ五つ 六(む)つかし(難し)の世や」と歌われていますが、人は欲しい物を手に入るとそれだけでは満足せずに、また他のものが欲しくなります。

欲求は際限なく広がり、収入の増加によって一時的に幸福感が高まっても、人は短い間にその状態に馴れてしまい、時間が経つと元の幸福レベルに戻ってしまいます。お金で手に入れた幸福は儚く、長続きしないということです。

狂歌に『楽しみは 後ろに柱 前に酒 左右に女 懐に金』がありますが、そんなものは実際に実現してしまうと快楽順応によってすぐに飽きてしまうよ、ということです。

本欄では、一貫して「理詰めで富裕層になる方法」をテーマにしてきました。繰り返し述べてきた、「お金をたくさん持つということは外から見るほどそんなにいいものではないよ」というメッセージは、もしかしたら富裕層と幸福を同義語と理解していた読者の方にとっては、がっかりするものだったかもしれません。

では、お金は人の幸福にどのような影響を与えるのか。今回はお金と幸福の関係について考えてみます。

リチャード・イースタリンという経済学者が1974年に発表した内容の概略は次の通りです。

(1)一国の一時点での所得と幸福度には正の関係が見られる
所得が高いほど幸福度が高いという素直に理解できる内容ですね。

(2)国際比較では所得と幸福度に関係があるとしても一国内の所得と幸福度ほど強くない
この国際比較の問題は、一人当たりの年間収入が1万5000ドルを超えるまでは所得の上昇と幸福に関連がありますが、その水準では人間の衣食住などの基本的な生存欲求が充足されない状況でストレスが大きいですから、これを取り除くだけで幸福感に上昇が見られるというのは素直に理解できる内容です。
しかし、今日の先進国では住む所も食べるところもない状況ではなく、それなりに雨露はしのげて、餓死しない程度の何らかの食べるものはありますので、お金と幸福の関係は弱くなるということです。

(3)一国の時系列で見ていって、国全体が豊かになっていっても幸福度は変わらない
これが今回取り上げるイースタリンパラドックス(イースタリンの逆説)です。パラドックスの原因と考えられるものは後述します。

(4)所得がある一定水準以上にあがると幸福度との相関が見られなくなる
これもイースタリンパラドックスの内容で、飽和点の存在を示すものです(飽和点が実際に存在するかどうかというのは、議論があるところで後日稿をあらためてお話しします)。