「北海道拓殖銀行」週末の異例な作業

1997年11月15日の土曜日だ。札幌市の中央を貫く大通りにある北海道拓殖銀行(当時)の本店で、きわめて異例の作業を指揮した。本支店の預金や融資の動きを包括的にみる営業企画部の次長で、46歳のときだった。

北洋銀行頭取 石井純二

道内の日本銀行の支店から、拓銀の拠点の店に計数百億円の現金を運んでもらい、そこから全支店へ、日曜日のうちに届けなくてはいけなかった。ただ、その段階では、まだ支店側に「なぜ、巨額の現金を送るのか」の説明をするわけにはいかない。淡々と受け止め、粛々と作業を進めた。

拓銀は、北海道最大の銀行だったが、90年代初めまでのバブル期に膨張させたリゾート開発などへの融資が焦げ付き、厳しい資金繰りをしのいでいた。だが、前日の14日、銀行間で資金をやりとりする市場で十分に調達できず、日銀に預けなければいけない準備預金が不足した。過怠金を課せられ、もはや限界に達していた。

首脳陣は急きょ、都内で臨時取締役会を開き、経営破綻と道内の営業権を北洋銀行に譲渡することを決める。現金の搬送は、週明け17日の月曜日に、取り付け騒ぎで大混乱しないように備えた措置だ。ただ、そこまで険しい状況とは、首脳陣から一度も説明がなかったから、現金搬送の指示を受けたときは、驚いた。でも、部下たちに、そんな風情はみせない。

17日午前8時、北洋が取締役会で営業権の受け継ぎを決定。直後、拓銀が記者会見を開き、経営破綻と営業譲渡を発表する。都市銀行で初の経営破綻。しかも、道内3位の第二地方銀行に営業権が移る。反響は大きく、支店には多数の客が訪れ、3日間で5000億円近い預金が解約された。だが、冷静な準備により、おカネに関する事故は一件も起きない。