在京キー局の45%のディレクターを抱える

「オンリーワン」の強みを、この会社ほど発揮しているところはないだろう。

井川幸広 クリーク・アンド・リバー社代表取締役社長

この2月、JASDAQから東証2部に鞍替えしたクリーク・アンド・リバー社(以下C&R社)のビジネスは、クリエイターと呼ばれる人たちに活躍の舞台、もっといえば自己実現の場を作ることで、競合と呼ばれるライバル企業は存在しない。その分野を見ると、テレビ・映画、ゲーム、Web、出版、広告といったマスコミやIT関連の仕事が並ぶ。とりわけ、テレビであれば、在京キー局の番組制作の45%に同社のディレクター達が関わっているという。

この圧倒的な数字は、社長である井川幸広の経歴と無関係ではない。井川は20代を映像の世界で過ごしてきたからだ。大学入試に失敗して、1979年に佐賀県から上京。予備校と専門学校に通うかたわら、学費を捻出するためにアルバイトに精を出した。そのなかの1つが、松竹の大船撮影所での手伝い。ここで映画制作の面白さを知った井川は、ニュース映画などを手がけていた毎日映画社に就職。持ち前の貪欲さで映像づくりのノウハウを吸収して、1年後には23歳の若さで独立する。

「フリーランスになったからといって、すぐに仕事が舞い込んでくるはずもありません。風呂なし、共同トイレ、家賃7500円のアパートで、ひたすら企画書を書き続けました。撮りたかったのは“時代”を映し出すような作品。1本の企画書をまとめるために、最低でも10冊の本を読まなければならない。そのため6畳間は、たちまち本の山で埋まりました。それでも、若さの特権ですね。不安より夢のほうが大きかったですよ」

そんな努力の甲斐があって、ようやく東京湾の汚染処理問題を扱った「今、東京湾で」と題するドキュメンタリーの企画書がテレビ局の目にとまる。それが引き金となったのだろう。それからは、井川の企画案が徐々に採用されるようになっていく。それはあたかも、注水を続けてきたバケツから、あるときを境に一気に水が溢れ出したようなものである。コンペの勝率でいえば、井川はイチローのような3割打者になっていた。