現法の文化変えた「我慢」の人材育成

ところが、相手は変わらない。失敗をしても、インドネシア語で「ティダ、アパアパ」(気にしない、気にしない)と笑う。上司が慰めに言うのではなく、本人が言うので腹が立つ。遅れている仕事に「それ、いつやるの」と聞くと「ベソック」(明日)と答え、しかも翌日にはやらない。植民地時代が長く、失敗しても謝ってはいけない、非を認めると解雇されるとの考えが、根付いていた。

彼らには、嫌われただろう。でも、「成果を出して育ってくれればいい」と、我慢を貫く。これも「70点主義」の1つかもしれない。帰国時に、現地の幹部候補生らが別れを惜しんで泣いたのをみて、文化の変化に驚いた。

「知者無不知也。當務之爲急」(知者は知らざること無き也。當に務むべきを之れ急と爲す)――物事の道理をわきまえた人は、知らないものはない。だが、知るだけでなく、何に力を尽くすべきかを悟ることを急ぐべきだ、との意味だ。中国の古典『孟子』にある言葉で、物事には優先度や軽重があり、知るよりも実行する大切さを説く。ある程度のデータを得たらやってみる横山流の「70点主義」は、この教えに重なる。

1950年9月、福岡市六本松に生まれる。父は会社員で、母と弟、妹の5人家族。父の転勤に伴い転校が続き、高校2年から愛知県立旭丘高校へ通う。ワンダーフォーゲル部に入り、8月1日に10人くらいで長野県・木曽の御嶽山に登ったが、2つの高気圧と南海上の台風で、大気が不安定になる。昼過ぎに山頂で雷に遭遇し、仲間と地面に伏せて雷雲が去るのを待った。直後、北にある西穂高岳から下山していた松本深志高校の教員と2年生らが被雷し、生徒11人が亡くなった。衝撃的な出来事で、ずっと、忘れられない。

74年春、早大政経学部経済学科を卒業、味の素に入社し、東京支店食品課へ配属された。家庭用のマヨネーズやスープ、マーガリンなどを受け持ち、2つの大手スーパーの店を回る。8年目から2年間は、支店の外食課で成長を続ける外食産業に直販する部隊を管理した。新しい課で、総勢10人余り。工場のリストラできていた年長者もいて、初めてマネジメント的な役割を経験する。

冒頭のインドネシア勤務から帰った後は、本社の広域営業本部で東京の大手流通企業を担当。バブル経済が崩壊して消費が落ち込む逆風下、13年ぶりに国内営業を経験する。さらに、福岡支店長として「地域未着営業」の指揮を執り、大阪支店長や食品部門のトップを務めた後、2013年6月にAGF社長に就任。それまで6年間、AGFの社外取締役を兼務していたし、味の素もコーヒーや粉末飲料を手がけていたから、「土地勘」はある。だが、新天地は、もっと広かった。

日本のコーヒーの出荷額は、お茶と炭酸飲料を合わせた規模で、2兆円市場が視野に入る。とくに瓶入りのインスタントに加え、1人単位のスティックや個々にドリップして飲む「パーソナルレギュラー」と呼ぶ商品が、ライフスタイルの変化とともに急増中。コンビニの店頭でドリップするコーヒーの売り上げも全国で増え、未開拓の海外市場も広大だ。

仮に「70点主義」で始めたとしても、今後の成長も考えると、100点に磨き上げていく余地はすごい。だからといって、ゆっくり構えていては、いけない。100満点の戦略を練ろうとすれば、スピードに欠ける。やはり「當務之爲急」だ。そのキーワードは、「深掘り」になる。

味の素ゼネラルフーヅ社長 横山敬一(よこやま・けいいち)
1950年、福岡県生まれ。74年早稲田大学政治経済学部卒業、味の素入社。2001年取締役、05年常務執行役員、09年取締役専務執行役員。13年より現職。
(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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