本書は代議制民主主義、つまり民主的に選ばれた政治家を通じて政治を行うことの本質と、その歴史を著している。大衆民主主義が定着するまでは、議会とは利害や考え方の異なるエリート同士による討議の場であり、政治思想的には自由主義の側面が強かった。しかし、財産の多寡や血統に左右されない民主主義が定着すると、代議士は政治的な資質とは別に「民衆との同質性」を求められるようになってくる。それが不十分だという理由から、ときに激しい批判にさらされるのが現代だ。

自由主義と民主主義の2大原則は、代議制民主主義においてバランスされなければならない緊張関係にある。その関係を著者は徹底的に解き明かしていく。とりわけ秀逸なのは、序章と過去を扱った第1章だ。政治と経済を関連付け、各国を横断して読み解く叙述には深みがある。

第2章では、1989年を境に変質してきた先進各国の課題を同じ世界観のもとでひもとき、第3章では各国の選挙や執政制度(大統領制・議院内閣制などの政府運営制度)とその帰結を解説し、第4章では、人々の現状への不満をいかに制度に反映できるかを検討している。

高度な内容を含む書物だが、地方議会のスキャンダルにはじまり、議会不信から論を進めるやり方はわかりやすく説得力がある。そこから著者は、既得権や官僚支配、機能不全とされる議会に反発して提起されている住民参加型の「熟議」や、評論家の東浩紀氏が唱える「一般意志2.0」などに言及していく。これらに対し一定の理解を示しつつも、制度の外に解を求める態度ではないかと牽制しているところが著者の凄みだ。「プロフェッショナルの専制」の懸念を提起するあたりは特に鋭い。

社会が一定の豊かさを手にし、グローバル化したことで、経済政策はもう政党間の争点とはなりえなくなったという指摘にも頷かされた。自由主義が経済不安に応えられなくなると民主主義が力を増し、民主主義による分配が経済の減速で振るわなくなると自由主義が再浮上する。そのサイクルが機能しなくなりつつあるということだ。

本書には米国の「マディソン的自由主義(多元主義)」、つまりエリート間の競争で多数者の専制の制度的抑止を図ろうという思想が紹介されている。日本も多元的な社会だが、多元がすなわち多様な競争と結びつくのは人工国家である米国ならではのこと。

今後求められるのは、こうした競争的多元主義の基礎を何に置くかという議論である。選挙や執政制度の再検討も大事だが、社会・経済的な亀裂に沿って政党を再構築していくことも忘れてはならない。日本の政党は多元主義的な競争を機能させているのか、という問いこそが重要になってくるだろう。