2015年11月10日(火)

社会的に成功しても埋まらない「充実感」の格差 ~社会性と自分性

“マネジメント”からの逃走 第36回

PRESIDENT Online スペシャル

著者
若新 雄純 わかしん・ゆうじゅん
人材・組織開発プロデューサー/慶應義塾大学特任講師

若新 雄純福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生がまちづくりを担う「鯖江市役所JK課」など、多様な働き方や組織のあり方を模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施中。著書に『創造的脱力』(光文社新書)がある。
若新ワールド
http://wakashin.com/

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若新雄純=文
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満足しているのに、充実していない人

現代において、「格差」という言葉は、単に「程度の差がある」ということをいうのではなく、社会問題の意味合いをもって使われます。

その「格差の問題」ですが、これまでは、生活の“水準”や教育・福祉など公共サービスの“レベル”など、社会的な基準で測ることができるようなものがほとんどでした。

しかしここのところ、社会的に与えることができる・保障することができるような外的なものではない、人間一人ひとりの精神的・内面的なものの格差が、深刻な問題になりつつあるように感じます。

その1つが、「充実感」の格差です。

例えば、「社会的に立派な仕事や役職に就いていて、給料などには満足している。でも、毎日会社にいくだけで、人生がまったく充実していない」というような人がいる一方で、「給料は安いけど、趣味があり、友達もたくさんいて、毎日が充実している」というような人もいるわけです。

つまり、社会的な水準やレベルが満足できるところまで高いからといって、それに連動して人生の充実感も高まるというわけではないということです。社会的・経済的な「勝ち組」の中にも、「充実感の負け組」が存在します。

ソーシャルメディアの投稿などを見ていても、充実感を求める人、あるいは充実感をやたらと顕示する人が増えているように感じます。

今どき、「こんないい車に乗っている」とか「ブランドものを買った」というような生活水準の“満足アピール”はダサいみたいです。一方で、「友達たくさんで、ご飯を食べに行った」とか「休日の趣味でこんな楽しいことがあった」といった“充実アピール”があふれています。

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