日本人は“劣化”しているのではないか。ここ数年、そんな気がしている。当社の若い社員にもそれを感じる。みなそれなりに頭がよく、要領もいいし、礼儀正しく素直だ。だが、どうもおとなしくて覇気が足りない。これでは競争になかなか勝てないだろう。
ビジネスというのは、言葉を換えれば、世界中のライバルと市場を取りあう「戦い」だ。だから、絶対に勝ってやる、負けてたまるかという気迫や闘志が不可欠だ。ノウハウだけでは戦いには勝てない。戦いこそが社会の基本原理であるなどといえば、日本では眉をひそめられがちだが、こんなことは海外では常識だ。
先日、北京大学で講演を行った際も、あらためてそれを感じた。みなひと言も聞き洩らすまいと目がギラギラしているし、講演後も次々と質問をぶつけてくる。競争に勝つためにみな必死なのだ。
これは中国に限ったことではない。韓国もインドもみんなそうだ。そういう強烈な向上心や上昇志向を持った外国人たちと戦って勝ち続けることが、果たしていまの日本人にできるのか、正直私は危機感を覚えずにはいられないでいる。
日本は依然として世界第3位という経済大国の一角を占めているが、決して盤石の強さを誇っているわけではない。国民がチャレンジ精神を忘れ、もうこの程度でいいと油断していたら、あっという間に他の国に追い抜かれてしまうだろう。
とくに心配なのは、有事を任せられるリーダーの人材不足だ。日本には、波風を立てるのを嫌い、みんなの意見を聞いて多数決に従うような学級委員タイプのリーダーが実に多い。平時はそれでもいいだろう。だが、会社が危急存亡の秋(とき)にあるような事態において、そんなリーダーで乗り切れるわけがない。
私が社長を引き受けたのは、まさに富士フイルムが生きるか死ぬかの瀬戸際だった。なにしろ就任した2000年から、営業利益の3分の2を占めていた写真用フィルムの売り上げが、急激なデジタル化による市場の縮小で、毎年25~30%ずつ減少していったのである。しかし、私は臆さなかった。「この危機を乗り越えるために生まれてきたのだ」と自分を鼓舞し、失敗したらそれこそ腹を切る覚悟で、会社の変革に着手したのである。